カテゴリー: 未来への教科書 Documentary Report

  • #29 「今なお続く原発との戦い」 オペラ白虎隊 総括 石原貴之さん

    #29 「今なお続く原発との戦い」 オペラ白虎隊 総括 石原貴之さん


    音楽を通じて何かがしたい

    会津出身の石原さんは、16歳で故郷を離れ、音楽家として活動していた。歳を重ねるにつれて募る望郷の念。会津でコンサートを開いたり、子ども向けのワークショップを開いたりする中で、同級生で指揮者として活動する佐藤正浩さんと再会する。「何かをやりたい」。気持ちがひとつになり、白虎隊を題材にしたオペラをつくることになった。

     新しい発想の「オペラ白虎」

    従来の白虎隊という型から少し違った感覚で作品をつくり上げたかった。台本作家の宮本益光さんと 作曲の加藤昌則さんはともに、それまで会津とは関わりがなかった。敢えてこの二人を起用することで、先入観のない、今までにないまったく新しい作品作りをしてほしいと願った。

    宮本さんからは飯盛山で自決をした少年たちの中で、たったひとり生き残った飯沼貞吉という少年を主人公にしたい、と申し出があった。オペラの主人公としては予想もつかない人物像だっただけに驚いたが、「それこそが私たちが彼らに作品の制作を託した最大の目的だ」と、制作が始まった。

    福島から発信したい

    ワークショップを開きながら制作をすすめ、「オペラ白虎カウントダウンコンサート」も開催していた。3月13日には、風雅堂でコンサートを開催する予定だったが、その2日前に起きた震災で開くことはできなかった。その後、被災地支援のために各地で開かれるチャリティコンサートなどを目の当たりにし、受け取るだけでなく、自分たちも発信することが必要だと考えるようになる。「オペラ白虎を福島から発信しよう」。震災で開けなかったコンサートをことし6月、風雅堂で開いた。

    発信による復興

    原発事故の放射能により、今まで福島が日本で誇りに思っていた農産物が厳しい状況に追い込まれている。放射能に影響されないものは、何なのか。「オペラ白虎」という作品は、まさに放射能とは関係ない汚染されていない物のひとつとして、世界に発信できるものだと考えた。

    会津人にとっての戊辰戦争は、薩長に対する思いというのは普遍的なテーマだが、愛であったり友情であったり平和であったり、それから人と人の絆であったり 親子の情であったりを普遍的なテーマとしてつくり上げた「オペラ白虎」。原発事故で世界的に有名になった「福島」から、震災後に生まれてきたオペラ作品だというインパクトは非常に強いものであると考えている。

    「原発事故の土地から新しい発信の力となって、世界に出て行く。ごく小さいひとつだが、作品を通して福島の復興の姿を発信し、世の中に問うていきたい」。

    BS12ch TwellV
    7月17日(火)、24日(火)、31日(火)18:00~19:00
    7月21日(土)、28日(土)、8月4日(土) 27:00~28:00
    計6回の放映です。

     

  • #29 「今なお続く原発との戦い」 大堀相馬焼協同組合理事長 半谷秀辰さん

    #29 「今なお続く原発との戦い」 大堀相馬焼協同組合理事長 半谷秀辰さん

    警戒区域に指定され、窯元はばらばらに

    大堀相馬焼は浪江町に窯を開き、322年の歴史を誇る。二重構造の湯飲み、青ひび、走り駒を描いた瀬戸物という三大特徴がある。値段の高いものはつくらず、各家庭に安く提供できるような価格の焼物をこしらえる、民陶として伝統を受け継いできた。原発事故で町は警戒区域に指定され、窯の被災状況を確認することもできないまま避難。21あった窯元はばらばらになり、再起不能の状態になった。

     

    再起をかけて

    各窯元が再起するには、仮設住宅では不可能だ。ガス窯も作れないし、細工もできない。どの窯元も決して裕福といえる状況にはなく、安易に土地を求めることもできない。焼物の基礎となる粘土は名古屋から取り寄せることができたが、地元の石を使って表現していた青ひびは、放射線の影響で使うことができない。なんとか青ひびを出そうと、技術を研究した。

     

    東北みちのくの風土から生まれた焼物

    避難生活では当初、大量生産されたカップを使っていた。どこか味がおかしい。一時帰宅の際、大堀相馬焼を持ち帰り、それで焼酎を飲んだ。「それは美味かったよ。全然味が違ったよ」。自分で作った物は自分で一番良いと思っている。だからこそ、感触が全然違う。改めて大堀相馬焼の良さに気付いた。東北みちのくが生んだ風土。その中で生まれた瀬戸物。土に触るとホッとする。「大堀相馬焼は機械で作るわけではなく、手で作る。伝統を守るには、自信を持ってやっていくしかないと思っている」と話す。

    「なんでこんな風に遠くにきて作らなければならないんだ」

     

    大堀相馬焼協同組合は今、二本松市の小沢工業団地の一角に仮設の工房を構えている。720平方メートルの平屋には、作業場や事務室、売店などをつくる予定だ。「私の望んでいる事はやはり継続ですよ」。相馬の地を離れて伝統を守る悲しみと悔しさ。他の地方に来て大堀相馬焼を作って、そこで売れるという確証はない。

    伝統を守るのは忍耐と努力しかない。守ることの苦しみを今回の震災で痛感した。「もう疲れました本当にはっきり言って」。

    ことし5月末、大堀相馬焼協同組合の仮設工房に新しく窯が運ばれてきた。震災後ずっと悩んできた半谷さんもこの日は安堵の表情を浮かべた。大量注文もある。「さあそろそろ始めなくちゃならないという感じだな」とつぶやいた。

    BS12ch TwellV
    7月17日(火)、24日(火)、31日(火)18:00~19:00
    7月21日(土)、28日(土)、8月4日(土) 27:00~28:00
    計6回の放映です。

     

  • #29 「今なお続く原発との戦い」 若松味噌醤油店 若松真哉さん

    #29 「今なお続く原発との戦い」 若松味噌醤油店 若松真哉さん

    店の目の前を流れる真野川。あと500mという場所まで津波が押し寄せた 

     南相馬市にある創業130年の歴史を持つ若松味噌醤油店の若松真哉さんは7年前、東京から地元に戻り、家業を手伝い始めた。3月11日、店から配達に出ようとしていた矢先、震災に遭う。「家が平行四辺形になった」という凄まじい揺れ。津波の情報が入り、余震に揺られながら家族と共に必死に車で逃げた。津波は店の前を流れる真野川を遡り、店まであと500mというところまで押し寄せたが、どうにか難を逃れた。店舗などは揺れによって被害を受けた。100年前に建てた、味噌などを寝かせる「大正蔵」は。外装は崩れたが、内部はそのまま残った。

     「ここに住んでいる限りは、ずっと放射能との戦いみたいなもん」

     麹を発酵させ、年月をかけて味噌をつくる。昔ながらの製法を守り続けている若松さん。原発事故により、店の商品に対して放射線物質を心配する声を耳にするようになる。定期的に検査を実施し、「一切検出せず」という結果を得てはいるが、できる限りの手を尽くしてしっかりと周知をし、お客の信頼を粘り強く得るしかないと考えている。「ここに住んでいる限りは、ずっと放射能との戦いみたいなもん」。自分自身に言い聞かせるように話す。

     

     「僕はがんばりますよ」。

     原発事故の後、復興デパートメントに参加した。色々なところから支援の手が差し伸べられている現状を目の当たりにし、発想の転機になった。まずは歴史ある事業を後世に伝えたい。そして、自分自身が理想の人間像として、「あいつが頑張ってるから俺もちょっと頑張ろうかな」と思う人が、日本のどこかに一人でもいてくれたら、それでいい。

     「理想で言えば、明日布団から出たら復興して元の世界になってたというのが本当に理想かもしれません」と若松さん。でも、現実を受け止め、真面目にやる以外に答えは見つからない。

     地域密着型で多くの人に愛され、育ててもらった家業。震災で何人もの馴染みのお客さんが命を落とした。避難所で暮らす人、故郷を捨てた人。人それぞれだから否定はしない。ただ、自分はこの地元に残って頑張り続けて少しでも地元に帰りたいなと思っている人たちの背中を押せるようなポジションにいるんだと思う。「僕はがんばりますよ」。

     BS12ch TwellV
    7月17日(火)、24日(火)、31日(火)18:00~19:00
    7月21日(土)、28日(土)、8月4日(土) 27:00~28:00
    計6回の放映です。

  • #28「居場所を作るために」 現地責任者 荒木そうこさん

    #28「居場所を作るために」 現地責任者 荒木そうこさん

    「集まるところが欲しいっていうところが、そもそもの出発点」。

    今泉天満宮の宮司の娘さんである荒木さん。神社が津波で流され、何もなくなったところに、みんなが集まれる場所を建てようという話が持ち上がった。たくさんの人たちの善意で「にじのライブラリー」が建てられ、荒木さんは現地責任者として働いている。津波の被害を何とか耐えた御神木が、ライブラリーのシンボル。この地域の復興のシンボルにもなっている。

    オアシスのような場所

    施設には本を読む目的の人だけでなく、お喋りをするために足を運ぶ人、ボランティア活動をしている外部の人も立ち寄っている。図書館としてだけでなく、誰もが気軽に立ち寄れるオアシスのような場。公民館的な役割も担っている。

    人を繋ぐ本

    本の大切さを改めて実感しているという荒木さん。ライブラリーでは、テレビの喧騒に堪えられなくなった被災した人の心に、本がそっと寄り添う光景をよく目にする。孫を膝に乗せて読み聞かせをしたり、静かに文字を追ったり―。本が自分自身と向き合う時間をつくるだけでなく、人と人をつなげる役割を果たしていると実感している。

     

    縦の繋がりを大切にしたい

    「縦の繋がりが大切にしたい」と、語る荒木さん。横取り、横やり、横暴、横柄―。昔の人は「横」というものを恥ずかしいことにし、縦の繋がりを大切にしていたという。自分が何をすべきかを考えたとき、人と比べて損得を考えるのではなく、高いところで価値観が一致していれば、世のためになるとう気持ちだけで動けるはず。にじのライブラリーは、多くの人の縦のつながりを軸に裾野が広がっている。

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    BS12「未来への教科書-For Our Children-」 #28 居場所を作るために~岩手県陸前高田市~ 

    放送日 7月3日(火) 18:00 ~ 19:00 ※プロ野球中継のため休止 /7月7日(土) 27:00 ~ 28:00 /

    7月10日(火) 18:00 ~ 19:00 /7月14日(土) 27:00 ~ 28:00

     

     

  • #28「居場所を作るために」Bricks.808 店主 熊谷亮さん

    #28「居場所を作るために」Bricks.808 店主 熊谷亮さん

     

     「自分がやればいいんだ」。

    熊谷さんは陸前高田市で飲食店を営んでいた。店には幅広い年齢層の人々が訪れ、熊谷さんの人柄を慕った若者が集うしゃべり場でもあった。津波ですべてが流され、店を失った。行方不明になった友人やお客さんもいた。熊谷さんはそれまで経験したことのない消防団に志願し、行方不明者の捜索や被災地の支援に当たった。

     

    またみんなで集まれる場所が欲しいな、という仲間の言葉。

    店を再開しようと思ったきっかけは、友人の亡骸を火葬した帰り。またみんなで集まれる場所が欲しいな、とつぶやいた仲間の言葉だった。そうか、どこにもないんだ―。そう思うと同時に、じゃあ自分がやればいいんだ、と思った。

     

    勝手に自分の都合で店を閉められなくなった。

    1年ほどかけ、店を再開させた。店に来るお客さんも自分と同じ、多くのものを失っている。ここに来て話をして、とにかく笑って帰ってほしい。料理なんて脇役でいい。みんなの笑顔を見て今はこう思う。「勝手に自分の都合で店を閉められなくなったな」。

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    BS12「未来への教科書-For Our Children-」 #28 居場所を作るために~岩手県陸前高田市~ 

    放送日 7月3日(火) 18:00 ~ 19:00 ※プロ野球中継のため休止 /7月7日(土) 27:00 ~ 28:00 /

    7月10日(火) 18:00 ~ 19:00 /7月14日(土) 27:00 ~ 28:00

     

  • #28「居場所を作るために」復興支援団体SET 共同発起人  三井俊介さん

    #28「居場所を作るために」復興支援団体SET 共同発起人 三井俊介さん


    「現在の活動の原点は大学時代の勉強にありました」。
    東京の大学でカンボジアなどの海外支援の仕組みを学んでいた三井さんは4年生になる直前に都内で震災に遭う。東京にいてもできることはないか―。震災の夜から友人らに呼び掛けた。そして2日後の13日、復興支援団体SETを立ち上げ、被災地への支援物資の橋渡しを始めた。活動を続けるうちに、支援が届きにくい陸前高田市の広田町の存在を知らされた。

    広田町は3700人が暮らす集落で、少子高齢化が進んでいる。半島の先端にあるため、がれき撤去などの作業にも遅れが目立った。仲間の若者と共に定期的に現地に入り、津波の被害地図の作成や、被災者の話し相手、物資の仕分けのほか、農業や漁業の手伝いなどに汗を流した。

     

    豊かな自然、温かな人たち、都会とはまったく異なる価値観。

    活動を通して、広田町には都会とはまったく異なる価値観があることに気付いた。津波に向かって沖へと船を出した漁師さんの話は鮮烈だった。先祖代々受け継がれた大切な船を守った行動。「また買えばいいじゃん」。そう思う自分がなんだか恥ずかしいような気持になった。

    現地に腰を据えて支援をしたい。2012年4月、そんな熱い思いを胸に、卒業と同時に広田町に移り住んだ。

    このままいけば限界集落の道をたどるに違いないこの町で、よそ者の自分にできることは何か。そして、よそ者にしかできないことは何か。町の存続だけではなく、多くの人が訪れてくれるような町にすることが自分の使命だと語る。

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    BS12「未来への教科書-For Our Children-」 #28 居場所を作るために~岩手県陸前高田市~ 

    放送日 7月3日(火) 18:00 ~ 19:00 ※プロ野球中継のため休止 /7月7日(土) 27:00 ~ 28:00 /

    7月10日(火) 18:00 ~ 19:00 /7月14日(土) 27:00 ~ 28:00