カテゴリー: Future

3.11以降、明治維新以降の近代合理主義や戦後の高度資本主義経済で私たちが信じて来た「合理的」で
「安全なもの」があっさりと崩れつつあります。その代わり、日本人が長い年月をかけ、手間暇をかけて
培って来た素晴らしいもの(伝統技術、文化、人のつながり等)が再び光を浴びつつあります。
ここでは、取材の中で見えて来た、未来の日本の暮らし方・生き方を発信します。

  • ♯39「東北が育てる農業の未来」株式会社グランパ代表取締役社長 阿部隆昭さん

    ♯39「東北が育てる農業の未来」株式会社グランパ代表取締役社長 阿部隆昭さん

    産業の復興と被災地の新しい雇用を目指して

     株式会社グランパは今年の8月、レタスを中心とした施設園芸「グランパファーム陸前高田」をオープンした。コンピュータで環境管理をしながら、毎日収穫をして毎日植えるという全く新しい形の植物工場となっている。天候に左右されず、毎日出荷できる安定した生産。また研修を受ければ誰でも企業ができ、土地、資金、そして販路までも提供できる仕組みを作った。成功の裏には、阿部さんの28年越しの決断があった。

    「稼げない農業」を、いつか「稼げる農業」に

     阿部さんは青森の生まれ。農業を身近にして育ったが、収入の不安定さが気にかかっていた。銀行員として勤めた28年間、主に資金の貸し借りをする部門に携わった。しかし日本の銀行は、既に成果を上げている企業にのみお金を貸すスタイル。「ゼロからでも企業は出来るはずだ」。二年間、アメリカやヨーロッパの金融商品についてを学んだ。危機を感じていた日本の農業の未来。銀行を退職し、エアドーム式植物工場を開発するに至った。

    どのような支援が実現しているのか

     経産省からの補助金の交付を受け、被災地支援として産業の振興、雇用の創出が期待されているグランパファーム陸前高田。現在農場で働く人間23名中、22名が地元からの採用だ。主に漁業を営んできた人や、一般家庭の主婦で成り立っている。まずは仕事を失ってしまった人達の雇用、そして畑が潰れたことによって出て行ってしまった農業者を再び呼び戻せるような環境作りに取り組んでいる。基盤作りが出来れば若手も参入してくるのではないかと期待している。

    復興に対する思いを一緒にスタートさせてくれた、陸前高田市

     今は軌道に乗っているグランパファーム陸前高田だが、被災地での土地の確保に苦労した面もあった。様々な地方自治体に声をかける中、比較的早い段階である程度の土地を用意し、理解を示してくれたのが陸前高田市だった。「この土地に、いろんな技術的なものを検証する研究開発が出来る場所、若い人にそれを理解してもらう研修の場所、そういった施設も将来作りたい」。新しい農業が発信出来る、そんなエリアでありたい。そんな思いを抱えて、今日も活動を続けている。

    BS12ch TwellV

    12月18日(火)、25日(火)18:00~19:00
    12月23日(日)、30日(日)早朝3:00~4:00

  • ファッションの生産地としての地場産業育成 ~宮城県南三陸町での取り組み~

    ファッションの生産地としての地場産業育成 ~宮城県南三陸町での取り組み~

    日本人にとって希望の象徴であり、鎮魂の象徴でもある桜。
    3.11後、「東北のために、何が出来るだろう」と考えた時
    桜でいっぱいになった雪国の風景が浮かんだ。

     

    20年後、2031年までに、宮城県南三陸町に
    3000本の桜を植えたい。
    その、桜の咲く美しい大地には、
    人々が豊かに暮らしていてほしい。
    そのためには、この南三陸から人が離れていってはいけない。
    雇用創出できる産業を起こしたい。
    こうして、LOOM NIPPONの活動が始まったー

     

    LOOM NIPPON代表の加賀美由加里さん。
    流れの激しいファッション業界において常にキーパーソンとして活躍。
    現在ドーメル・ジャポン社の社長、そしてランバンブランドの日本アドバイザー、と
    日本のファッション界の牽引役として多方面からの篤い信頼を得ている。

    Ms. Yukari Kagami

    その加賀美さんが
    南三陸を東北一の桜の名所に
    そしてファッションの生産地に
    と、LOOM NIPPONを立ち上げた。

     

    ランバンの創始者、ジャンヌ・ランバン。
    彼女の、Fashion is Emotionという言葉を加賀美さんは大切にされている。
    バッグはそのEmotionを運ぶプロダクトだという。

     

    EmotionをActionに変えたい。
    その思いが、バッグに繋がり実を結んだ。

     

    「これまでの私の全てのキャリアはこの仕事のためにあった」
    そう言い切る加賀美さん。

     

    Love Of Our Motherlandの頭文字「LOOM」
    奇しくもLOOMとは機織機の意味がある。
    縦糸を祖先から子孫までに、そして横糸を同じ世代にみたて、
    それらの織り込まれる愛のタペストリーを作りたい。
    そう考えた加賀美さんは「織」を取り入れたバッグを作ろうと思い立つ。

     

    機を織るということは織り姫が必要だ。
    被災した子供達が、この南三陸の地で育っていくには親に仕事がなければならない。

     

    雇用創出のため、バッグを南三陸で作れないか。
    知り合いを辿っているうちに、アストロ・テックの佐藤社長に出会う。
    佐藤社長も被災し、工場も家も流された。
    被災する前は精密機械を作っていたが、
    加賀美さんの熱意に動かされ、未知のバッグの世界へ。

     

    「苦労なんて苦労はしてないですよ」と穏やかに語る佐藤社長。
    全くの異業種に、抵抗はなかったという。
    精密機械を扱っていただけに細やかで丁寧な仕事は元々得意。

    Mr.Akio Sato

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「最初は、同業者から冷やかしの電話があった」という。
    それでも、そんなことには目もくれず、
    日々研究を重ねていった。

     

    被災して仮設住宅に引きこもっていたが、
    アストロ・テックで働くようになって笑顔が出てきた若い女性もいるという。
    佐藤社長の温かいまなざしを見ていると
    佐藤社長の心が、彼女を動かしたのだろうと思える。
    同じ苦労をしたものだけが分かる暗黙の世界。
    それを黙って迎え入れる佐藤社長。
    目に見えない絆が織り込まれているのを感じた。

    Asutoro

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    長年、世界を相手に、ブランディングを手がけてきた加賀美さん。
    既に次の戦略を打っている。

     

    この街全体がファッションの生産地として著名となって
    各地から若者が集まってくるような夢のある場所にしたい。

     

    そのための準備が着々と進んでいる。
    事業がうまくいけば行く程、桜が植わっていく。
    南三陸という故郷に、皆の作ったバッグが桜となって戻ってくる。

    LOOM Bag

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    南三陸町。
    これから益々目を離せない。

    2012/12/19

    復興支援メディア隊

    榎田智子

     

  • ♯38「放射線と戦う人々」福島大学人文社会学群経済経営学類 小山良太さん

    ♯38「放射線と戦う人々」福島大学人文社会学群経済経営学類 小山良太さん

    現状の把握が何よりも大事

     小山さんは福島大学で農業や地域経済についての研究をしている。2011年の福島原発事故で農業の危機を感じ取り、復興支援機関「うつくしまふくしま未来支援センター」の立ち上げに参加したり、県内にモデル地区を設定して、100m四方の細かい放射線量マップの作成をした。放射線量を細かく測定することにより、福島の様々な状況が見えてきたという。

    同じ地域内なのに、放射線量に大きな差が

     土地の高低差で違いが出たり、周りの山や水の流れから影響を受けたりと、線量に大きな差がでる地域があった。放射線分布マップを細かく整備する必要があると改めて感じた。

     どの農地がどの程度汚染されていて、作物にどんな影響を生むのか。どういった対策を取ればいいのか。2011年9月、うつくしまふくしま未来支援センターと連携し、県内でモデル的に放射線の分布マップを作り始めた。まず対象となったのは、福島県北部に位置する伊達市小国地区だ。

    矛盾した地域。住民たちは

     小国地区の数十世帯は、年間の積算線量が20mSvを超える恐れがあるとして「特定避難勧奨地点」に指定されている。そのため避難せずに人が残る民家と、避難して無人になった民家とが入り混じり、地域としての矛盾を生んでいた。集落の活動はおろか回覧板も回せない。

     マップの作成作業は住民たちから有志を募った。自分たちで汚染の度合いを測定することによって意識が高まり、どこから除染すればいいかなどのより具体的な対策にも繋がったという。

    政府や県、民間が互いに協力をすること

     各自治体・農協で独自に汚染マップを作る動きが広まっている。福島県は基準を統一する体制でいるが、原発事故で引き起こされたその他の問題の対応に追われているのが現状だ。小山さんは、国と県とで役割分担が必要だと語る。「実際にどういう状況なのかというのははっきり知りたい。農家を含めてね、みんな同じこと思ってますよ」。復興計画の地盤作りを目指して、小山さんの奔走は続く。

    BS12ch TwellV

    12月4日、10日、11日、16日に放送されました。

  • ♯38「放射線と戦う人々」チェルノブイリ救援・中部 理事長 神谷俊尚さん

    ♯38「放射線と戦う人々」チェルノブイリ救援・中部 理事長 神谷俊尚さん

    汚染されたチェルノブイリ。日本からの支援

     チェルノブイリ救援・中部は、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故への支援活動をしているNPO団体だ。1990年、日本で反原発活動を行っていた活動家たち約80名が新聞の投稿をきっかけに結成。日本の民間団体による現地での救助活動ははじめてだった。精力的な活動を続け、最近では「菜の花再生プロジェクト」という、汚染された土壌を復興・浄化する5年がかりの計画を完遂させた。

    2011年、福島第一原発事故。福島県南相馬市での支援活動も開始した

     福島の原発事故を知った理事長の神谷さんは、原発の危険性をもっと訴えていくべきだったと反省の念を抱いたという。その後、南相馬市市長などの助けを受け、市内の放射線量マップを作る契機を得る。マップを作ることでどの箇所にホットスポットがあるのか、線量の高低を誰が見ても分かるようになった。そして、2012年4月からは警戒区域から解除された小高地区も加えての放射線量マップを作成している。

    年末には食品測定器も入手。野菜や果物などの測定も

     2011年の年末に測定器が導入された。練習を重ね、本格的に始動したのは翌年6月。放射能測定センター南相馬、通称とどけ鳥で、食料品の放射線量の測定を開始した。山菜類や柑橘系の果物は今でも高い数値が出ている。マップの作成と並行させながら、安全な食品、注意すべき食品などの情報を住民に提供している。

    原発事故から1年半。住民達の意識に格差が広がり始めている

     「もうそろそろ大丈夫では?」事故から時間が経ち、子供を学校の校庭で遊ばせることに抵抗がない親も増えてきた。除染はしてあるとはいえ、100%安全な街ではない、と神谷さんは指摘する。住民に注意を呼び掛けるには、マップであれ食品測定であれ、活動を続けて情報を発信していくことが重要だ。それが南相馬に住む人に私たちが出せる答えだと、まっすぐに前を見据えた。

    BS12ch TwellV

    12月4日、10日、11日、16日に放送されました。

  • ♯38「放射線と戦う人々」ゆうきの里東和 ふるさとづくり協議会事務局 営業部門チーフ 海老沢誠さん

    ♯38「放射線と戦う人々」ゆうきの里東和 ふるさとづくり協議会事務局 営業部門チーフ 海老沢誠さん

    地元愛で地域活性化

     福島県二本松市にある道の駅「ふくしま東和」は、NPO法人ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会が市から指定管理を受け運営している。250人を超える会員の3分の2は農家のおじいちゃん、おばあちゃんで、地元の野菜や特産物を販売。地域活性化に取り組んできた。しかし2011年3月の大震災と福島第一原子力発電所の事故。原発から60㎞離れた二本松市も大きな被害を受けた。

    とにかく、作る。原発被害にも負けない強い姿勢。

     被害を受けてから一ヶ月、米の種まきの時期がやってきた。海老沢さんは情報を整理しながら、米を作るのか、止めるのかという話し合いを続けた。「作らないと何も見えてこない。とにかくやってみようという」。しかしいざ会員を呼び集めると、おじいちゃんおばあちゃんは既にいつものように田を耕して種を蒔いていたことがわかった。「この人たちはすごい」。動じないその姿勢に、驚きを隠せなかった。

     呼びかけに応え、半分以上の会員が米作りを続けた。他の直売所に何も無い中、ふくしま東和には商品が山盛りという、利用者も驚く結果となった。

    「地域のために、子どもたちのために、結果を出さなきゃいけない」

     地域の人が安心して食べられるものを。農作物の放射線量を測定する必要があった。市民放射能測定所CRMSの協力を得て、機材を借り、測定室を造った。日本有機農業学会の大学の先生たちや企業も協力してくれ、やっと放射線量を測定するシステムが出来上がった。

     現在、95%の野菜は「放射能不検出」の結果が出ている。米に関しても全国の平均値と変わらない。はっきりと数字に出すシステムは、自分達が自らの状況を把握し、今後の展開を見据えることにも繋がったという。

    今後、福島の森をどう再生させていくのか

     キノコの原木は福島県が国内65%の生産量を誇る。しかし放射線の被害により、今キノコ産業に危険が訪れている。山の落ち葉や木をどう処分、再生させていくのかが鍵だと海老沢さんは語る。山を再生させることが出来なければ、キノコ産業、ひいては福島全体が潰れていってしまう。次の世代へ繋げるために今なにをすべきか。その方法を模索している。

    BS12ch TwellV

    12月4日(火)、11日(火)18:00~19:00
    12月10日(日)、16日(日)早朝3:00~4:00

  • ♯37「徳島商業高等学校~女川第二小学校受け入れプログラム~」徳島商業高等学校教諭 鈴鹿剛さん

    ♯37「徳島商業高等学校~女川第二小学校受け入れプログラム~」徳島商業高等学校教諭 鈴鹿剛さん

    高校生と、被災地小学生とのキャンプ交流

     徳島商業高等学校で教諭を務める鈴鹿先生。県の教育委員会からの要請で、震災被害を受けた女川第二小学校との交流会を指揮している。一番最初の交流会は2011年8月。その3か月前に女川へ視察に訪れた鈴鹿先生は、見渡す限りの瓦礫の山に迎えられ、「なんかすごい所に来たな」と困惑を露わにした。現地の状況も含め、キャンプでの交流を提案した。課題は、子供たちの心の解放だ。

    事前の研修が成功へのカギ

     交流会には鈴鹿先生の前任校である小松島西高校の生徒たちも参加し、2校合同での開催となった。事前に、炊飯の仕方や子供たちの現状、こういった言葉は使わないように、などの研修をしたため、交流会は無事成功した。自分たちが知らない大きな経験をした子ども達と交流したことで、高校生にも大きな成長が見られたという。女川の子ども達が楽しみにしてくれていることもあり、「やろう!」と思う次回への原動力に繋がっている。

    2012年8月の研修、3度目の交流会に向けて

     午前中は鈴鹿先生が被災地の映像を見せながら、子供たちと接する際の注意点など解説した。映像鑑賞後は、前回の交流会で被災地に入った生徒たちがマイクを持って現地の様子を発表。自分が見て感じたことを、飾らないまっすぐな気持ちで打ち明けた。

     午後は小学生たちの引率担当班と食事担当班に分かれ、各自で当日を想定した作業の確認をした。引率担当班は小学生と遊ぶ可能性のある川を実際に訪れ、気付いたことをメモしていく。月末の交流会に向けて、皆が団結していた。

    鈴鹿先生にとっての使命のひとつは、生徒たちの可能性を押し広げること。

     「近頃の若いもんはだめだって言うんじゃなくて、若い子の可能性を信じる」。可能性を広げる場を与えること、その勇気が大事だと鈴鹿先生は語る。与えられることによって、子どもたち自身が自分の持つものを発揮し、自信へと繋げていく。

     鈴鹿先生は今後も支援活動を続けていくつもりだという。支援した子ども達、された子ども達が成長していく様を思い浮かべ、「どんどんこっち側もハマっていくような感じがしています」と目を細めた。

    BS12ch TwellV

    11月20日、25日、27日、12月2日に放送されました。

  • #36 「自然と共存する社会」森林との共生を考える会 阿部鴻文さん

    #36 「自然と共存する社会」森林との共生を考える会 阿部鴻文さん

    単なる「森づくり」では終わらない

     森林との共生を考える会は、「健全な森林の育成、森林文化の復権、国産材の利用促進」を目的に2001年に発足したNPO法人だ。森林を守ることと木材を使うことの両面にスポットを当て、森林と住まいに関する勉強会や体験会を開催している。2011年の震災以降は、津波による被害を受けた海岸林の調査にも乗り出している。

    調査で見えてきた、海岸林の様々な特質

     震災時、天然の防潮堤として機能し多くの命を救った宮城県亘理町の海岸林。津波になぎ倒され、1500ヘクタール以上を失った。海水の塩によって枯れてしまったものも多いという。しかし調査の結果、海水に強い樹種と弱い樹種があることが分かってきたという。砂の移動を防ぎ、潮風から守ってくれる海岸林。再生には50年、100年とかかるため、長期的な視野の中で次世代に伝えていき残していきたいと阿部さんは語る。

    9月12、13日と「三井物産環境基金 助成団体交流会」が開催された

     群馬県で開かれたこの交流会は、復興助成として支給された基金を元に、それぞれの団体が研究・調査をし、その結果を報告しあうものだ。団体同士の連携や研究成果を広めることを目的に、ワークショップ形式で様々な議論が重ねられた。参加した阿部さんは、様々な分野の活動に触れ、「今後何か連携できることがあればていきたい」と思いを新たにした。

    森林は、先祖から受け継いで、次の世代に残すもの

     阿部さんは、森林とは一つの環境でもあり資源でもあると語る。人間と森林の関わりを考えながら、木の文化、林業の振興、森林の整備という3つのテーマの調和を目指している。「これからも次の世代に森林を残していくため、森林との共生を考え、活動を行っていきたい」。じっと緑を見つめる瞳に迷いはない。

    BS12ch TwellV

    11月6日(火)、13日(火)18:00~19:00
    11月11日(日)、18日(日)早朝3:00~4:00

  • #36 「自然と共存する社会」共存の森ネットワーク理事長 澁澤寿一さん

    #36 「自然と共存する社会」共存の森ネットワーク理事長 澁澤寿一さん

    「聞き書き甲子園」という活動から生まれたご縁

     大槌町吉里吉里地区で、共存の森ネットワークによるボランティアツアーが開催された。共存の森ネットワークとは、「聞き書き甲子園」という活動を10年前から行ってきたNPO団体。高度経済成長が起こる1960年以前の暮らしをしてきたおじいちゃんおばあちゃんの話を、高校生がインタビューし、記事にするものだ。

     吉里吉里地区は東日本大震災の被害を受けており、未だ避難生活を続ける人達に震災以前の記憶を蘇らせるべきではないという意見もあった。しかし被災地の人々に「聞き書き甲子園」の話をすると、「是非来てほしい」という答えが返ってきた。吉里吉里地区に誇りを持つ彼らは、かつての姿を記録し、その上で復興をしたいと考えていた。そうして完成した聞き書きの本を現地に届けよう、と企画されたのがボランティアツアーだ。

    吉里吉里地区の強い結束力

     井上ひさしの小説「吉里吉里人」の舞台ともなった吉里吉里地区は、三陸沿岸の豊かな自然に恵まれている。震災後は災害対策本部を立ち上げ、瓦礫の撤去や避難所の炊き出しを自分達で行うなど、住民の結束した強いコミュニティがあった。共存の森ネットワーク理事長の澁澤寿一さんは、吉里吉里地区にこそ自然資本に基づいた暮らしがあり、この地が復興していく中にこそ、未来につなげる社会の1つのモデルがあるという。

    ツアーには100名以上が参加。老若男女問わず多くの人が集まった

     まず開催されたのは、地元の人に地区を案内してもらうミニツアーだ。現地の人からは、この日のために開かれた特産物の直売所や、昼食の手作りカレー、「虎舞」と呼ばれる郷土芸能の披露など多くのふるまいがあり、参加者は顔を綻ばせていた。

     ツアーの目的は少しでも多くの人と人との接点を作ること。ボランティア作業はあくまで、地元の方々と一緒に汗をかき、空間、時間の流れ、空気の匂いなどを共有をし、コミュニケーションを取る入口だ。被災地の一人ひとりが今何を思っているのか。一対一の人間として本音を語り合い、その人の人生を受け止めることが復興への一歩だ。

    「みんな、答えは自分達の中にあるんですよ」

     本当の地域づくりとはどういうものか。澁澤さんは、若者に「自分の人生の設計」を考えてほしいと言う。「決してお金だけの設計ではないはずなんです」。その土地に根ざして生きてきた、おじいちゃんおばあちゃんが持つ生き方や価値観を若者に繋げること。自然の中で喜びを感じられる社会、自然と共存して暮らせる未来作りを夢見ている。

    BS12ch TwellV

    11月6日(火)、13日(火)18:00~19:00
    11月11日(日)、18日(日)早朝3:00~4:00

  • #35 「釜石市立釜石東中学校 未来を担う子どもたちのために」PTA会長 沼﨑 優さん

    #35 「釜石市立釜石東中学校 未来を担う子どもたちのために」PTA会長 沼﨑 優さん

    子ども達のために。続く挑戦

     昨年の震災により、これまで別の中学校に身を寄せていた釜石市東中学校の生徒達。校舎も行事も共同だったが、今年4月に仮設校舎が建ち、やっと自分達の場所を手に入れることができた。「今年こそ子ども達に行事をさせてあげたい」。PTA会長を務める沼﨑さんは、その思いを叶えるため2年連続してPTA会長に就任した。震災前の規模まで戻すことを目標に、今年は小さいながらも様々な企画を実行する予定でいる。

    本校舎建設を目指した建設検討委員会

     同時に、高台への本校舎建設を目指した建設検討委員会が作られ、参加をしている。釜石東中学校、鵜住居小学校、栗林小学校のPTA会長をはじめ、地域の自治会や有職者の人々の集まりだ。これまでに4回議論が開かれ、どの位置に学校を建てれば今後の子ども達のためになるのか、といった内容を話し合ってきた。自宅が釜石市鵜住居町の中心にある沼﨑さん。これまでと同じように、学校を中心とした鵜住居町の賑わいを復活させたいという思いがあった。主張したのは、鵜住居町の中心にある山を切り崩し、震災での津波の到達点より上に校舎を建てるという案だ。そうして鵜住居町第13地割の高台に校舎を建設することが決まった。

    従来のように人とのつながりがある地域の実現を目指して

     本校舎の完成は平成27年度の予定だ。しかし現在決まっているのは「13地割の高台に建つ」という点のみ。被害を受けた国道45号線や、その他公共施設がどこにどう建つのかなど、多くの問題は業者からの測量データをただ待つしかない状態だ。

     「誰もが知り合いという形で助け合いながら、このままの鵜住居の人柄でいれるような町になってほしい」。校舎は高台に移るが、かつての鵜住居町そのままを再建したい。地域の繋がりの力を信じて、その実現を夢見ている。

    BS12ch TwellV

    10月16日(火)、23日(火)18:00~19:00
    10月21日(日)、28日(日)早朝3:00~4:00

  • #35 「釜石市立釜石東中学校 未来を担う子どもたちのために」平野美代子先生

    #35 「釜石市立釜石東中学校 未来を担う子どもたちのために」平野美代子先生

    「実際はこうなんだよという部分を発信できたら」

     昨年の震災で津波にのまれ全壊した釜石市立釜石東中学校。校舎にいた約220人の生徒たちは高台に逃げ、奇跡的に全員無事だった。

     元々生徒達の写真を撮るのが好きだった平野美代子先生。メディアの報道する「枠の外が見えてこない切り取られた写真」に疑問を感じた。もう持つことはないだろうと思っていたカメラを再び手にし、株式会社ニコンの支援を受けて「中学生フォトブックプロジェクト」が立ちあがった。一年目こそ「後にも先にも経験しない忙しさ」だったと言うが、二年目の今年はカメラの実技的な知識や技術を身につけ、メッセージを伝えられる写真を撮る事を目標に、子ども達とフォトブック製作に打ち込んでいる。

    自分たちの足で歩いて聞いた事、感じた事を伝える役割を担わせたい

     震災直後は10キロ離れた別の中学校で授業を受けていたが、今年4月に仮設校舎が建ち、ようやく元々学校があった地域に戻ってくることができた。今後は子ども達が取材する側へとまわり、地域の人々をインタビューする計画だ。地域の人々が地元の中学生に求めるものを聞き取り、受け止めて発信する役割があるのではないか。釜石の代表として「本当の声」を伝える中学生カメラマン。「どこまでできるかわかんないですけど、夢ですね」と平野先生は語る。

     また、子ども達への良い影響も期待している。学校で教えるだけではなく、学校から切り離し、違った物の見方を地域の人々に教えてもらえるのではないか。地域にはその力があると考えている。

    支援をする側される側という関係ではなく、ともに生きていく仲間でありたい

     7月10日、岩手県の内陸にある北上市立東陵中学校との交流会が開催された。「第1回岩手の未来を創る仲間の集い」と題された合唱交流会で、この日のために練習してきた曲を互いに披露した。直接的な被害を受けなかった内陸と、沿岸部の子ども達との交流。「(沿岸の子ども達は)永久に支援を受け続けるわけにはいかない。いつか自分たちの足で動き出す時が来る」。支援をする側される側という垣根を越え、対等な立場でお互いを見ることが、それぞれの頑張りに繋がるのだという。

    数字で評価される既存の教育からの脱却

     「第1回岩手の未来を創る仲間の集い」では、生徒達それぞれに自分達で考えた係の仕事が課せられていた。大人が思いつきもしなかったユニークな発想。自主的な役割は責任感と楽しさを生み、子ども達は生き生きと活動することができた。「別に私が、ここが良かったここがだめでした、なんて言わなくたって、もう自分の中に多分あるんですよね、答えがね」。数字で評価するのではなく、様々な経験を積ませ、面白いことを知ってもらいたい。教育の可能性をこれからも追及していきたいと平野先生は語った。

    BS12ch TwellV

    10月16日(火)、23日(火)18:00~19:00
    10月21日(日)、28日(日)早朝3:00~4:00