カテゴリー: Future

3.11以降、明治維新以降の近代合理主義や戦後の高度資本主義経済で私たちが信じて来た「合理的」で
「安全なもの」があっさりと崩れつつあります。その代わり、日本人が長い年月をかけ、手間暇をかけて
培って来た素晴らしいもの(伝統技術、文化、人のつながり等)が再び光を浴びつつあります。
ここでは、取材の中で見えて来た、未来の日本の暮らし方・生き方を発信します。

  • ♯34「原発事故が引き起こしたもの~医療、行政、観光から見る福島~」南相馬市立総合病院 医師 原澤慶太郎先生

    ♯34「原発事故が引き起こしたもの~医療、行政、観光から見る福島~」南相馬市立総合病院 医師 原澤慶太郎先生

    被災地で医療を続け、見えてきた問題

     ただの治療に留まらず、疾病の予防や健康維持で地域の高齢者をサポートする「地域医療」の活動をしていた原澤さん。2011年11月、後輩医師に呼ばれ、福島県第一原発から23kmに位置する南相馬市立総合病院へとやってきた。震災が起きてから半年以上、未だ仮設住宅での生活を余儀なくなれていた住民たちは、常勤医として腰を据えた中期的な支援を必要としていた。

     被災地の病院で仕事を続けるうちに、医療的な側面でも厳しい環境にあることが分かってきたという。まず、仮設住宅のような人口が密集した場所に高齢者が多いため、感染症のリスクが高い。しかし、もし集団感染を引き起こして多くの入院患者が発生しても、病院にはそれを補うほどのベッド数がない。ベッド不足は、看護師不足が原因だという。

    どうやって看護師を増やしていくべきか

     病院の機能は看護師の数で決まるのだという。看護師ひとりにつき○床、と規定があるため、医師やベッドそのものの数はあっても、看護師がいなければベッドは使えない。放射線量がゼロではない中、どうやって看護師を増やしていくかというのも重要な課題のひとつだった。

     今考えられているのは、子育てを終えた40代50代の元看護師に、再教育を施して現場へ戻ってきてもらうというシステムだ。結婚や育児などの理由でそもそもの離職率が高い看護師。今回の被災地に限らず、在宅医療や地域医療の手伝いが出来る看護師の教育モデルが、この地で実験的に出来るのでは、と原澤さんは考えている。

    生きたいから薬を飲む。被災者の心のダメージ

     さらに根本的な問題は、かつて営んでいた生活を失った被災者が、生きがいを無くしてしまったことだという。畑を流されて「生きてる意味がねぇ」と薬を飲まない人がいる。「何が彼らの生きがいかっていう部分にフォーカスしていかないと」。薬を飲むために生きているのではなく、生きたいから薬を飲むのだということを、原澤さんはこれまで以上に強く感じていた。

     そして子ども達にも定期的なカウンセリングが必要だと語る。避難先の学校で苛められて帰ってきたという話を聞き、そういった子どもは多いのかも知れないと考えてのことだ。未来ある子ども達をフォローしていく方法を模索している。

    地域を診る

     現在では、保健師の方と勉強会を開いて情報交換をしたり、高齢者が作った工芸品を販売して子供達の教育に関わる資金に充て、子供たちと高齢者の交流を図るきっかけ作りをしている。これは地域の活性化と、高齢者の生きがい作りにも貢献しているそうだ。

    地域に密着し、人々に寄り添いケアをする地域医療。取り組んでいる様々な問題も、医学的に理由付けがされると、市民も動きやすいと原澤先生は語る。

    BS12ch TwellV

    10月2日(火)18:00~19:00 ※プロ野球中継のため休止
    10月9日(火)18:00~19:00
    10月7日(日)、14日(日)早朝3:00~4:00

  • BS12ch「未来への教科書 特別編」DVDになりました!

    BS12ch「未来への教科書 特別編」DVDになりました!

    震災から約1年後の2012年3月4日(再放送3月8日)にBS12ch TwellVで

    放映された、「未来への教科書 特別編」がDVDになりました!!

     


    BS12ch「未来への教科書 特別編」DVD

    未来への写真展ブックレット付です!

    DVD制作を記念して、10名様にプレゼントいたします!!!

    http://www.twellv.co.jp/event/mirai/

     

     

     

     

  • ♯34「原発事故が引き起こしたもの~医療、行政、観光から見る福島~」会津若松市役所 室井照平さん

    ♯34「原発事故が引き起こしたもの~医療、行政、観光から見る福島~」会津若松市役所 室井照平さん

    会津の魅力を武器にする

     2011年8月に会津若松市市長に就任した室井さんは、震災後の豪雨や風評被害により減少した観光客を呼び戻すため、様々な施策を行っている。武器にしているのは歴史観光だ。元々、会津は神社仏閣や自然などといった名所が多く、国宝級の仏像も点在している。自然に関しても、日本百名山の1つ磐梯山や、日本第4位の面積を誇る猪苗代湖に隣接していたりと魅力にあふれている。

     震災前から作成していたのは「極上の会津」というPR冊子だ。会津の17市町村の観光名所を取りまとめてあり、神社仏閣や各地のおいしい食べ物など、深く根付いている歴史や伝統文化をわかりやすく紹介している。

    震災後の取り組みと今後の目標

     震災後の取り組みは、一つは各観光スポットを中心とした復興キャンペーンの展開だ。キャンペーンに参加している宿泊施設に泊まると、抽選で会津の特産品がプレゼントされる。また、一部施設では会津特選食材を使った食事プランの提供もあった。

     今後も会津を舞台にした映画やドラマと観光を連動させるなど、様々な企画を予定している。25年には会津出身の山本八重の生き様が、NHKの大河ドラマに取り上げられるという。さらに室井さんは、海外、特に欧米系の観光客の受け入れ準備にも力を入れていくという。

    7回転んでも8回起き上がる

     室井さんの手にあるのは“起き上がり小法師”といい、福島県会津地方に古くから伝わる縁起物・郷土玩具の一つである。会津の人にとっては馴染みのある郷土玩具で、「十日市」という毎年1月10日に行なわれる縁日で、家族の人数+1個を購入し神棚などに飾る。何度倒しても起き上がる事から「七転八起」の精神を含有している。

     「この“起き上がり小法師”のような気持ちで今後の観光復興に取り組んでいきたいなと考えています」。小さく愛らしい小法師が持つ、「諦めない」という精神に、会津の今を重ねている。

    BS12ch TwellV

    10月2日(火)18:00~19:00 ※プロ野球中継のため休止
    10月9日(火)18:00~19:00
    10月7日(日)、14日(日)早朝3:00~4:00

  • ♯34「原発事故が引き起こしたもの~医療、行政、観光から見る福島~」 金山町観光情報センター オアシス センター長 吉川幸宏さん

    ♯34「原発事故が引き起こしたもの~医療、行政、観光から見る福島~」 金山町観光情報センター オアシス センター長 吉川幸宏さん


    観光業が収入源の町

     新潟県にほど近い場所に位置する町、福島県大沼郡金山町。地震による被害は軽微で済んだものの、観光客数が大幅に減少して経済的な打撃を受けている。この町の観光情報センターで働く吉川さんは、なんとか巻き返しを図ろうと試行錯誤を繰り返していた。震災後の5月の連休は団体観光客がまったくのゼロだったが、6月に入ると「福島を応援しよう!」という動きが高まり、少しずつではあるが客数が戻りつつあったという。しかし7月末、新潟・福島豪雨が発生し、また客足は遠のいてしまった。

    追い打ちをかけた豪雨と、色濃く残る原発の影響

     7月末に起きた記録的な豪雨。降り始めた豪雨は数日間降り続け、ダムが放水し、集落が水に呑まれた。観光の要だった只見線も流出してしまい、甚大な被害を被った。現在に至っても未だ着工のめどは立っていない。

     豪雨で受けた被害の復旧と同時に、遠のいてしまった観光客の誘致のための施策が必要だ。福島は宮城や岩手に比べ原発の影響が色濃く残るため、今でも観光客数は伸び悩んでいる。吉川さんは春に花見のツアーを組んだが、一度は申し込みがあっても「やっぱり家族に止められたから」とキャンセルの嵐だったという。

    町の体力作りのために、今すべきこと

     今の大沼郡金山町に、工場を誘致したり、農業で農地を広げるといった体力はない。観光収入が得られるような仕組み作りも、まだまだこれからだ。まずは少しずつ街を整備し、観光客を受け入れる体制を整えること。訪れた観光客が満足し、観光収入で地元民の生活が楽になれば、少しずつ前を向いて歩ける様になるのでは、と吉川さんは語る。

    BS12ch TwellV

    10月2日(火)18:00~19:00 ※プロ野球中継のため休止
    10月9日(火)18:00~19:00
    10月7日(日)、14日(日)早朝3:00~4:00

  • #33「写真がつなぐ人と未来」

    #33「写真がつなぐ人と未来」

    写真の力で復興支援

     株式会社ニコンが支援する「中学生フォトブックプロジェクト」。被災地の中学校にコンパクトデジタルカメラを寄贈し、生徒はフォトブック制作に向けて作品づくりに取り組む。テーマはそれぞれの学校で設定し、生徒ひとりひとりが、撮り、選び、伝えたい思いを言葉に換えて、写真に添える。ニコンは写真教室や作品展の開催支援などをしながら、活動の集大成となるフォトブックを印刷し、参加した生徒全員に手渡す。

     2年目の今年は、47校の中学校が参加した。「写真は時間を超越し、未来への自分にも伝える事ができる。自分の故郷を思い出す1つのきっかけになれば」と考えている。

    海の見える中学校、卒業式前日の被災

     今年初めての写真教室となるのは岩手県の大槌町立吉里吉里中学校。小高い丘の上に立つモスグレーのモダンな校舎だ。校舎からは海が見える。震災の日、津波の第1波は30メートル程海水が引いた。第2波は船越湾の半分近くまで波が引き海の底が見えた。そして、真っ黒な大きな壁のような大津波があっという間に押し寄せたという。校舎に被害はなかったが、グラウンドは水浸しになった。震災後、グラウンドはヘリコプターの着地所になり、体育館は安置所となった。幸い在校していた生徒は避難して全員無事だったが、下校してしまった3年生の安否確認に一日を費やしたという。

     吉里吉里中学校は現在、総合教育の時間で「地域の教育力を高める授業」を行っている。その中の1つに震災後の記録を撮る時間があったが、先生たちだけでは対応出来ない状況で困っていたところ、ニコンからフォトブックの活動の話が入り、賛同するに至った。沼田校長はこの活動を通じて「人と人との絆を大切にし、将来生徒たちがこの地域に集まり力を集結する」そんな力を身につけて欲しいと語る。
    海を渡った子ども達のメッセージ

     ニコンが支援した活動の一つに、オーストラリアで開催された「未来への教科書」写真展がある。これまで羽田空港や文部科学省などで行われてきた写真展だが、今回オーストラリアの実現国際交流基金(ジャパン・ファンデーション)主催によって初の海外開催を迎え、2012年5月10日から6月2日まで約一ヵ月間開催された。復興の過程で発見した、日本人の素晴らしさや底力。子どもたちが撮った写真とメッセージが、訪れた来場者の心を奪った。海を渡った「未来への教科書」。写真は時間だけでなく言葉の壁も越え、子どもたちの未来への思いをしっかりと伝えた。
    BS12ch TwellV
    9月18日(火)、25日(火)18:00~19:00

    9月23日(日)、30日(日)早朝3:00~4:00

  • #32「あさか開成高校演劇部~心を語り、心が繋がり、心を継ぐ

    #32「あさか開成高校演劇部~心を語り、心が繋がり、心を継ぐ

    原発事故という大きなテーマを伝えるために

     東日本大震災後、未曾有の被害をもたらした原発事故。2011年8月に行われた「総文祭」に向けて準備をしていたあさか開成高校演劇部は、事故の影響で劇の内容を大きく変更した。テーマである「ほんとの空」を感じられなくなってしまったこども達。それぞれの想いを即興劇として繋げ、「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」のタイトルで世に打ち出した。

     福島で初上演したこの作品は人々に高い評価をもって受け入れられ、震災一年後である2012年3月11日には東京公演を実現させた。そして3年生の卒業と、春からの新入生の加入。新しい顔ぶれとなり、さらに横浜での公演に向けて力を合わせていった。

    「お前の今の気持ちは何なんだ」。努力の役作り。

     新生の部は卒業生の抜けた穴を埋めるため、まず各役を再編成するところから始まった。部員の美田尚輝くんは、前回演じていたキャラとは真逆のキャラクターに割り当てられ、そのギャップに苦労した。「迫力やら想いの違いやらでただの力入っている人にしか見えなくなっちゃって。その時に今野先輩(前役者)のアドバイスを受けて、俺を真似をしなくていいよって」。辿りついたのは、自分のエピソードを新しい役に盛り込むこと。こうしたそれぞれの努力の役作りが、舞台を成功へと導いていた。

    何かを演じることは、相手を理解すること

     横浜公演の翌日は、市内で横浜の高校生との交流ワークショップが開かれた。台本を見せ、横浜の高校生たちに演じさせてみる。「あんまり上手にやろうと思わないで。ちょっとお互い見合ってごらん」。

     それぞれが勝手に演じるのではない。何かを演じようとする時にその役の人の事を真剣に考えること。真剣にその人の色んな事を感じようとすること。一人ではできない、相手を理解するという作業だという。だから、例え自分が体験していない震災についての台詞だとしても、テキストを通して一緒に近づき考えればお互いを理解するきっかけとなる。交流ワークショップは、確かにお互いに得るものがあった。

    演劇によって広がった輪はまた一回り大きく広がろうとしている

     知り合いの紹介で横浜公演とワークショップに足を運んでいた寺下正博さんは、広島県で小学生を中心としたこどもミュージカルを企画しているという。「上級生が下級生に伝えていくっていう作業をすごく大事にしていかなきゃいけないんじゃないかな」。被災地の高校生が描く等身大の気持ち。あさか開成高校演劇部の想いは、舞台という媒体を通じて確実に広がりをみせている。

    BS12ch TwellV

    9月4日(火)、11日(火)18:00~19:00

    9月9日(日)、16日(日)早朝3:00~4:00

  • #23「アクセンチュアと会津若松市 ~金継ぎでつなぐ復興の道」福島イノベーションセンター長 中村彰二朗さん

    #23「アクセンチュアと会津若松市 ~金継ぎでつなぐ復興の道」福島イノベーションセンター長 中村彰二朗さん

    アクセンチュアの復興プロジェクト

     経営コンサルティング企業アクセンチュア株式会社は、福島で雇用を創出するため、昨年9月に会津若松市に福島イノベーションセンターを設立した。センター長である中村さんは生活の拠点を福島に移し、準備、設立に次ぎ、魅力ある都市づくりを目指してプロジェクトを進めている。

     設立して最初の4カ月は、市や大学の方々と復興プラン・施策を練ることに費やした。現状を把握し、未来を見据えた上でどうしていくかという計画作りだ。合意を得、全17施策を進めていくこととなった。風評被害の回復、企業誘致、中にはモデル都市会津若松を目指し、少なくとも3年はかかるものもある。「地域の魅力をどう外に出していくか」という考えのもと、一つひとつを確実に進めている。

    会津の伝統工芸品をどう外に発信していくべきか

     12月、「金継ぎ」のデザインを施したiPhoneカバーを制作するプロジェクトを展開した。すでに存在した漆塗りのiPhoneカバーに魅せられた中村さんが、制作者と意見を交わし、自社バージョンを作ってもらうことになった。

     金継ぎは、割れた陶磁器を漆で接着し継ぎ目を金で飾る、日本独自の修理法。iPhoneカバーにデザインすれば、世界中の人に使ってもらえる可能性がある。まずは国内市販からと、初版を社内販売で展開した。社員がクライアントと会うと、「それはなんだ」という話になり、言葉で説明をする。「金継ぎのデザイン」であることがわかりにくかったが、それを説明することにより、コミュニケーションが盛んになったという。それが成果を生み、約500本のオーダーに繋がった。次は世界へ向けての展開を考えている。

     また、この金継ぎは福島イノベーションセンターのテーマでもある。原型に戻すだけではなく、以前よりも価値があるものとして蘇らせる技術を、復興を成長戦略ととらえ価値ある日本を創造することを目指す会社のビジョンに重ねた。会津の漆で福島を、そして日本を金継ぎする。それがアクセンチュアの復興プロジェクトとなった。

     

    地域での人材育成と企業との関係性

     企業誘致のためには、これからの時代に必要とされる人材をこの地で育てる必要がある。海外に比べ圧倒的に不足している分野の人材を育てることが出来れば、それを欲しがる企業が集う。しかし「会津でなければ駄目」というものがなくては、コストの問題などですぐに他の地へ移ってしまう。「その地域とどういうふうに自分たちの企業が育っていくかという、もう切り離れないくらいの関係性というのを、まずお互いに考えないと」。東北進出を考えている企業があれば、「まずは滞在を」とアドバイスするという。一時間や二時間の訪問では、地域の方々がどんな事に喜びを考えてどんな事に今悩んでいるかなど、なにもわからない。「まずは居て、話をすることだ」と中村さんは語る。

    復興で終わるのではなく、これからもずっと地域に根付いた企業でありたいと言う

     会津にセンターを構えたきっかけは震災からの復興であるが、それを達成したとして撤退をするつもりはない。5年後、復興がテーマではない産業があり、人材が豊富にいて、日本のあるべき姿としてのセンターがそこにある、そんな形を夢見ている。「ここに、会津大学と共にずっと人材育成をするセンターであり続けたい」と語った。

    BS12ch TwellV 4月21日、28日に放送されました。

  • #31「SAVE TAKATA~一歩、一歩、復興のその先へ」 岡本翔馬さん

    #31「SAVE TAKATA~一歩、一歩、復興のその先へ」 岡本翔馬さん

    情報のない中で

     震災によって壊滅的なダメージ受けた陸前高田市。市内に事務所を構えているSAVE TAKATAは、陸前高田の復興支援を目的に活動を続けている。

     SAVE TAKATAの現地ディレクターである岡本さんは陸前高田出身。元々は東京で転職活動を続けており、内定をもらったまさにその日に震災が起きた。テレビで見た津波の映像に、故郷を思った。「ちょっとこれは本当にまずいかもな」。同じ陸前高田出身で、関東で生活している友人に連絡を取り、故郷の情報を集めようとしたが、電話もインターネットも繋がらない。状況を把握している者は誰もいない中、津波が押し寄せる映像だけが延々と流れていた。

    SAVE TAKATAとしての最初の活動

     東北自動車道も東北新幹線も止まっていた。原発もいつ爆発するかという状況の中、家族や親しい友人との連絡は依然取れないまま。「実際に行ったほうが正確な情報が早く手に入る」。そう考え、SNSやmixiを通じて集まった15人ほどの陸前高田出身者を代表し、先発隊として現地へ向かった。

     途中、どこが停電しているか、どこのスーパーが開いてるか、ガソリンが入手できるのは…。生活に直結する情報を集めては、東京のメンバーにメールをした。その情報を元に、東京のメンバーがホームページを作る。これがSAVE TAKATAとしての最初の活動となった。

     そして現地に到着。連絡手段がないためどこに誰が避難しているのかすら分からない状況や、支援物資をさばききれずにいる混乱を目の当たりにした。様々な情報を整理し、被災地と外を交渉する人間が必要だと感じた。

     「今やらないと多分後悔する」

     内定していた会社を辞退し、勤めていた会社も退職した。陸前高田に住み、支援活動を続けている。津波の危険を後世に伝えるために津波の到達点を桜の木でつなぐ「桜ライン311」や、仮設住宅で安定して高品質の水を提供するための「みずプロジェクト」など、活動内容は多岐に渡る。

     中でも、訪問者の方々と被災地をめぐるツアーでは、そこで暮らしてきた人々のことをしっかりと伝えたいという思いがある。廃墟を見て回って終わりではない。「ここは以前はこんなところだったんですよ」と簡単な資料を作ったり、人の生活が感じられるような案内をしたりする。「面積とか数字とかじゃなくてそういう所がやっぱり一番今回の震災のダメージな訳ですし、そこが出来るだけ初めて来た人でも解って頂けるようなツアーにしたいなって思ってやってますね」と語る。

    新しい地方都市をどうつくるか

     今回の震災で多くの事業者や農家が退職を余儀なくされた。人口もどんどんと減る中、10年後や20年後に、本当に元の姿に戻るのか。今現在の復興だけではなく、未来の陸前高田に対してのアクションが、一つの「支援」になると岡本さんは言う。陸前高田が抱える、今すぐ解決できない、10年かかるような課題。それを解決する道を一緒に探ってくれませんか、そんなスタンスで挑んでいる。もちろんそれは陸前高田だけが持っている課題ではない。だがそれに対する解決法を陸前高田で作り、横展開出来れば、地方都市はどんどん良くなると考えている。

     「新しい地方都市をどう作るか」。岡本さんは、そこに故郷の未来と団体活動のゴールを見ている。

    BS12ch TwellV

    8月21日(火)、28日(火)18:00~19:00

    8月26日(日)、9月2日(日)早朝3:00~4:00

  • #22 あさか開成高校演劇部

    #22 あさか開成高校演劇部

    ほんとうの空 福島の空


    2012年春、あさか開成高校演劇部の子ども達とその教員とで一つの芝居を作った。タイトルは「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」。
    元々は「ほんとの空」というタイトルで、2011年に福島で行われる総文祭で上演する予定だった。しかし、大震災による原発の事故が起こり、上演は中止。残る爪痕や事故の影響により、皆はテーマとなっていた「ほんとの空」を、今の福島の空に感じることが出来なくなってしまった。

    “「ほんとの空」を表現できなくなってしまった自分たちの気持ち”を表現しようか。
    「私たちの今を、とにかく叫ぼう」。タイトルは、「ほんとの空」から「この青空は、ほんとの空ってことでいいですか?」へ変わった。そして採用されたのが、台本を使わない“エチュード”という芝居方式だ。状況や場面、人物の性格だけを設定し、その場の受け答えを基に役者が動作や台詞を創造していく。いわゆるアドリブ劇だ。最初は皆、なかなか自分の本音を出せなかった。しかし自分の奥深くから出てきた嘘のない言葉が積み重なり、それを受け答えすることで、今までにないような大きなものとなった。そうして出来上がったものは数時間にも及ぶものとなった。

    やるのなら全力で、満足するまで。

    震災から一年後である2012年3月10日・11日、東京公演が行われた。しかし震災が起きた日に東京へ行くということに、部員それぞれの思いがあった。最初はこの舞台を「風化させないために」と何よりも優先してやってきたが、それ故に犠牲にしてきたものもある。「でももうちょっと頑張るべ」。多くの人と出会え、多くの人が応援してくれるようになった。3月11日という特別な日に、福島に残りたいという気持ちと、東京という大きな舞台で人々に伝えなければという気持ちがあった。しかし中途半端な気持ちでやれば伝わらない。やるなら全力だと。

    感覚の違いをかき混ぜて、一緒に考える
    今福島に住む人たち一人ひとり、それぞれ思いが違う。震災や放射能についてどこかで考えてしまう一年間。反面、震災の話題が減ってしまい、ほとんど気にしなくなってしまっているのでは、と感じさせる東京。演劇によって感覚の違いをかき混ぜて、皆で一緒に考えていきたい。
    成長していく部員達は、いつの間にか平和ボケの高校生ではなくなっていた。しっかり見据えて歩こうとしている姿がそこにはあった。「子供たちの感じることを寄り添って認めてあげること。それが僕ら大人のしていかなくてはいけないことなんではないかな」と、教員は語った。

    BS12ch TwellV 4月7日、14日に放送されました。

  • #30「東北観光博〜人とつながる旅〜」 秋田県 国際教養大学 4年 須崎裕さん

    #30「東北観光博〜人とつながる旅〜」 秋田県 国際教養大学 4年 須崎裕さん

    ずっと繋がり続ける、ずっと行き続ける


    国際教養大学(AIU)の学生同士でボランティア活動に取り組む須崎さん。AIUサポーターの名で月に一度、気仙沼の仮設住宅に訪れている。 といっても大きな活動ではなく、小学生やおばあちゃんとゲームをしながらお喋りを楽しんでいる。そこで重要なのは、ずっと繋がり続ける、ずっと行き続けるということ。ある時ボランティアで小屋掃除をした。一週間後、また同じ小屋へ行くと、おばあちゃん達が簡易テーブルを広げておにぎりを作っている。「ご飯ですよ」。振舞ってくれたそのお米は、おばあちゃん達が他県からの支援としてもらったものだった。
    「あなた達が毎週来てくれるから、なんとか気仙沼は復興している」。おばあちゃん達はそんな姿を見せたかったのかも知れない。須崎さん達が帰ったあとも同じ作業を繰り返し、掃除をし、米を用意して待ってくれていた。
    ボランティアとは物理的にどれだけ泥かきが出来たかではない。行くことによっておばあちゃん達が元気になる。毎日を楽しく生きる。前に向かって生きる。そのきっかけになるのだと。

     

    “おもしろい”から満員バスツアーへ


    ボランティアとは別に、須崎さんが前々から行っているバスツアーがある。留学生や他県から来た学生に、秋田の面白さを知ってもらおうというものだ。月に一度バスを出し、須崎さんが見つけた「秋田の面白い場所」に連れていく。 元々は大阪出身の須崎さん。秋田へ来て、単純に「面白いところだ」と思った。収めた写真を友達に見せていると、行きたいという声があがった。最初は数人だったが、すぐに車に入りきらない人数になり、移動手段はバスへと変わった。今では満員で参加できない人も出るほどだ。ツアーは、Facebookや学内メール、ポスター等を使って周知している。

    被災地にもっと多くの人が足を運んでほしい


    「大自然とか、昔からあるお祭りとか。そういったものを通して、親子のような、おじいちゃんと孫のような関係になる。そんな機会を提供できたら」と須崎さんは笑う。 被災地に観光に行くというと、あまり良いイメージを持たない人も多いかも知れない。しかし実際に被災地を見てきた須崎さんは、「(被災地は)どんどん復興してるし、どんどん人を呼びたいと思っている」と話す。ただ単に施設を覗いたり、バスで様々なところを急いで回るのではない。一か所でもいいから長い時間をそこの人達を過ごしてほしい。何度も通って繋がってはじめて行ける場所もあるのだという。「本には載っていない絶景スポットというのは、実は地域の人しか知らない」。
    学生である自分達だからこそ出来ることがある。地域の人たちとの繋がりを信じ、須崎さんは今も小さな“ずっと”を続けている。

    BS12ch TwellV
    8月7日(火)、14日(火)18:00~19:00
    8月12日(日)、19日(日)早朝3:00~4:00