カテゴリー: Future

3.11以降、明治維新以降の近代合理主義や戦後の高度資本主義経済で私たちが信じて来た「合理的」で
「安全なもの」があっさりと崩れつつあります。その代わり、日本人が長い年月をかけ、手間暇をかけて
培って来た素晴らしいもの(伝統技術、文化、人のつながり等)が再び光を浴びつつあります。
ここでは、取材の中で見えて来た、未来の日本の暮らし方・生き方を発信します。

  • #30「東北観光博〜人とつながる旅〜」 復興屋台村 気仙沼横丁 実行委員長 岩手佳代子さん

    #30「東北観光博〜人とつながる旅〜」 復興屋台村 気仙沼横丁 実行委員長 岩手佳代子さん

    気仙沼横丁オープン

     気仙沼出身でフリーアナウンサーの岩手さんは震災後、支援物資を被災者に届けるボランティア活動に参加していた。届けることを続けているうちに、避難所で暮らす人たちが物を受け取るだけではなく、将来を見据えた支援の必要性を肌で感じていた。そんな時、料理の腕前はあるのに、震災で店も道具も失くした人との出会いをきっかけに、そういう人たちが身ひとつですぐにでも営業できる場をつくろうと、気仙沼横丁プロジェクトが立ち上がった。実行委員長としての活動が始まった。

     

    協調性を大切に

     4月にプロジェクトを立ち上げ、11月にオープン。その間の行政との協議などには苦労もあったが、オープンしてからは順調に進んだ。横丁のカウンター席は8席。全国で横丁を開催している人のアドバイスを受け、一人で接客できる人数に合わせた。店は21店舗。すべてがカウンター8席という造りなので完成も早かった。店内の装飾は個々の店主に任せた。本当はただのプレハブの厨房器機とカウンターと椅子があるだけの場所を、それぞれが工夫し、彩り豊かで個性的な店が誕生した。店主は仲が良く、協調性を大切にしながら営業を続けている。継続的な集客のため、旅行会社と組んだり、月に1回以上のイベントを催している。「たくさんの皆さんが来てくださって、おいしいねぇって言って、ただお金を落としてっていうんじゃなくて、私たちこんなおいしいものが提供できますので、それを食べて笑顔になった分だけお支払いしていっていただけたらという気持ちです」と話す。

     

    海の玄関口、気仙沼湾に復興の灯火を照らしたい

     気仙沼横丁の特徴は、海から逃げなかったということ。すぐそこが海。まだ当初はガレキだらけだったが、海から人が入ってくる場所なので、その玄関口を明るくしないことには復興もないだろうと。支援物資も海から入っており、届けてくれる人たちを迎えるためにも、海の近くに提灯の灯りをつけようと、この場所を選んだ。海の潮風を受けながら、海の音を聞きながら、そしてフェリーが行き交うのを見ながら、そしておいしいものを食べられる楽しいひと時を過ごすことができる。それが魅力になっている。

    気仙沼を体感してほしい

    観光客や今他の地域からこの地に来る人々は、震災が起きたありのままのものを見ておきたい、目に留めておきたいという気持ちの人が多い。訪れる人の中には、もう1年以上経ってしまって、その時の状態ではないが、1年経ってもこの状態だというものを目に焼き付けておきたいと話す人もいる。「受け入れ側のおもてなしはどうにかするので、ここに来るまでの道だけでも早く作ってほしい」。津波から1年以上経ってもまだこの状態だということを知ってもらいたい。でも、せっかく気仙沼まで来てくださったので、おいしいものをいっぱい食べて帰ってほしい。風評被害というのはまだある。子どもに被災地のものを食べさせないでくれっていう声もある。でも、気仙沼の鰹は検査で数値は出ていない。情報をきちんと把握した上で気仙沼に上がるおいしいものをいっぱい食べてほしい。食、風景、人。気仙沼は特色を出せる街。「釣ってきた人が美味いぞ、うめぇぞ!って言えば、あっ、そりゃそうだ!って。いくらうんちくがあったって、釣ってきた人、生産した人、作った人、その人がうんめぇって言って自信を持って出すんだから、うまいに間違いはないんです」。

     

    「復興」の2文字が消える日まで

    「将来的には、カヨちゃん気仙沼に住んでいるんだ!うらやましいね、と言われるところまで気仙沼を持っていきたい」。今は皆さんの心の中には、復興のために気仙沼に行こうという思いがある。「復興」という2文字が取れて、気仙沼に行こう、気仙沼においしいものを食べに行こう、気仙沼に元気を貰いに行こう、気仙沼にキレイになりに行こう、そんなふうに気仙沼に目的を持って来てもらいたい。「復興」という2文字が取れたら、その時が気仙沼の本来の姿だと考えている。

    BS12ch TwellV
    8月7日(火)、14日(火)18:00~19:00
    8月12日(日)、19日(日)早朝3:00~4:00

  • #30「東北観光博〜人とつながる旅〜」 観光庁観光地域振興課長 七條牧生さん

    #30「東北観光博〜人とつながる旅〜」 観光庁観光地域振興課長 七條牧生さん

    東北と各地を結ぶ
    「こころをむすび、出会いをつくる」。東北への旅行需要が落ち込む中、需要回復のために「東北観光博」が企画された。観光庁 観光地域振興課長である七條さんは、人と人との結びつきをコンセプトに活動している。

    28通りの「ありがとう」
    東北観光博の基軸は「お客さんと地域の方々がたくさん触れ合う」。新しい1つの仕組みとして、まずパスポートを作った。パスポートを持って地域に出向くと、様々な特典が受けられると同時に、「よく来てくださいましたね」「ありがとう」といった意味の方言スタンプを押してくれる。方言の宝庫でもある東北はそれぞれ言葉使いも違う。全28ゾーンに1スタンプ、28通りの「ありがとう」を用意している。

    根っこにあるのは“被災地の復興”
    28ゾーンに被災地はまだ入っていない。「1つの拠点になれば」という思いで、七條さんは「復興屋台村 気仙沼横丁」を訪れた。22店舗の飲食店や鮮魚店が並ぶ、活気溢れる場所だ。1つずつの店は小さいが個性があり、人と人との結びつきを確かに感じた。
    東北観光博自体は「短期的に落ち込んだ旅行需要の回復」という名目だが、その根元にあるのは被災地復興。被災地の人達は今、観光という状況ではないのかも知れない。しかし、七條さんは将来を見据え、人と人との交流の大事さを説く。「手伝えることがあれば一緒にやっていきたい」。

    「成功するかどうか、それはやってみないとわからない」
    人口減少、過疎化、高齢化が進む中で、地域をどう活性化させていくのか。ただ単にイベントを起こして短期的に観光客を呼び込むのではない。地域の産業や日常生活を活かし、お客さんと地域の人が触れ合いながら作り上げてリピーターを増やしていく。一過性ではなく将来へ繋がる観光づくり。東北観光博がそのきっかけになればと、そんな思いで活動している。もちろん1年やそこらで出来る話ではない。だがその地域づくりの延長線上に、観光の未来がある。
    「大きなヒントは、住んでよし訪れてよしというテーマの中に含まれてる感じがする」。どうやったら地域が良くなるのかという考えが、観光という形で表現できる。「精いっぱいやるに値する仕事だ」と、七條さんは語った。

    BS12ch TwellV
    8月7日(火)、14日(火)18:00~19:00
    8月12日(日)、19日(日)早朝3:00~4:00

     

  • #29 「今なお続く原発との戦い」 オペラ白虎隊 総括 石原貴之さん

    #29 「今なお続く原発との戦い」 オペラ白虎隊 総括 石原貴之さん


    音楽を通じて何かがしたい

    会津出身の石原さんは、16歳で故郷を離れ、音楽家として活動していた。歳を重ねるにつれて募る望郷の念。会津でコンサートを開いたり、子ども向けのワークショップを開いたりする中で、同級生で指揮者として活動する佐藤正浩さんと再会する。「何かをやりたい」。気持ちがひとつになり、白虎隊を題材にしたオペラをつくることになった。

     新しい発想の「オペラ白虎」

    従来の白虎隊という型から少し違った感覚で作品をつくり上げたかった。台本作家の宮本益光さんと 作曲の加藤昌則さんはともに、それまで会津とは関わりがなかった。敢えてこの二人を起用することで、先入観のない、今までにないまったく新しい作品作りをしてほしいと願った。

    宮本さんからは飯盛山で自決をした少年たちの中で、たったひとり生き残った飯沼貞吉という少年を主人公にしたい、と申し出があった。オペラの主人公としては予想もつかない人物像だっただけに驚いたが、「それこそが私たちが彼らに作品の制作を託した最大の目的だ」と、制作が始まった。

    福島から発信したい

    ワークショップを開きながら制作をすすめ、「オペラ白虎カウントダウンコンサート」も開催していた。3月13日には、風雅堂でコンサートを開催する予定だったが、その2日前に起きた震災で開くことはできなかった。その後、被災地支援のために各地で開かれるチャリティコンサートなどを目の当たりにし、受け取るだけでなく、自分たちも発信することが必要だと考えるようになる。「オペラ白虎を福島から発信しよう」。震災で開けなかったコンサートをことし6月、風雅堂で開いた。

    発信による復興

    原発事故の放射能により、今まで福島が日本で誇りに思っていた農産物が厳しい状況に追い込まれている。放射能に影響されないものは、何なのか。「オペラ白虎」という作品は、まさに放射能とは関係ない汚染されていない物のひとつとして、世界に発信できるものだと考えた。

    会津人にとっての戊辰戦争は、薩長に対する思いというのは普遍的なテーマだが、愛であったり友情であったり平和であったり、それから人と人の絆であったり 親子の情であったりを普遍的なテーマとしてつくり上げた「オペラ白虎」。原発事故で世界的に有名になった「福島」から、震災後に生まれてきたオペラ作品だというインパクトは非常に強いものであると考えている。

    「原発事故の土地から新しい発信の力となって、世界に出て行く。ごく小さいひとつだが、作品を通して福島の復興の姿を発信し、世の中に問うていきたい」。

    BS12ch TwellV
    7月17日(火)、24日(火)、31日(火)18:00~19:00
    7月21日(土)、28日(土)、8月4日(土) 27:00~28:00
    計6回の放映です。

     

  • #29 「今なお続く原発との戦い」 大堀相馬焼協同組合理事長 半谷秀辰さん

    #29 「今なお続く原発との戦い」 大堀相馬焼協同組合理事長 半谷秀辰さん

    警戒区域に指定され、窯元はばらばらに

    大堀相馬焼は浪江町に窯を開き、322年の歴史を誇る。二重構造の湯飲み、青ひび、走り駒を描いた瀬戸物という三大特徴がある。値段の高いものはつくらず、各家庭に安く提供できるような価格の焼物をこしらえる、民陶として伝統を受け継いできた。原発事故で町は警戒区域に指定され、窯の被災状況を確認することもできないまま避難。21あった窯元はばらばらになり、再起不能の状態になった。

     

    再起をかけて

    各窯元が再起するには、仮設住宅では不可能だ。ガス窯も作れないし、細工もできない。どの窯元も決して裕福といえる状況にはなく、安易に土地を求めることもできない。焼物の基礎となる粘土は名古屋から取り寄せることができたが、地元の石を使って表現していた青ひびは、放射線の影響で使うことができない。なんとか青ひびを出そうと、技術を研究した。

     

    東北みちのくの風土から生まれた焼物

    避難生活では当初、大量生産されたカップを使っていた。どこか味がおかしい。一時帰宅の際、大堀相馬焼を持ち帰り、それで焼酎を飲んだ。「それは美味かったよ。全然味が違ったよ」。自分で作った物は自分で一番良いと思っている。だからこそ、感触が全然違う。改めて大堀相馬焼の良さに気付いた。東北みちのくが生んだ風土。その中で生まれた瀬戸物。土に触るとホッとする。「大堀相馬焼は機械で作るわけではなく、手で作る。伝統を守るには、自信を持ってやっていくしかないと思っている」と話す。

    「なんでこんな風に遠くにきて作らなければならないんだ」

     

    大堀相馬焼協同組合は今、二本松市の小沢工業団地の一角に仮設の工房を構えている。720平方メートルの平屋には、作業場や事務室、売店などをつくる予定だ。「私の望んでいる事はやはり継続ですよ」。相馬の地を離れて伝統を守る悲しみと悔しさ。他の地方に来て大堀相馬焼を作って、そこで売れるという確証はない。

    伝統を守るのは忍耐と努力しかない。守ることの苦しみを今回の震災で痛感した。「もう疲れました本当にはっきり言って」。

    ことし5月末、大堀相馬焼協同組合の仮設工房に新しく窯が運ばれてきた。震災後ずっと悩んできた半谷さんもこの日は安堵の表情を浮かべた。大量注文もある。「さあそろそろ始めなくちゃならないという感じだな」とつぶやいた。

    BS12ch TwellV
    7月17日(火)、24日(火)、31日(火)18:00~19:00
    7月21日(土)、28日(土)、8月4日(土) 27:00~28:00
    計6回の放映です。

     

  • #29 「今なお続く原発との戦い」 若松味噌醤油店 若松真哉さん

    #29 「今なお続く原発との戦い」 若松味噌醤油店 若松真哉さん

    店の目の前を流れる真野川。あと500mという場所まで津波が押し寄せた 

     南相馬市にある創業130年の歴史を持つ若松味噌醤油店の若松真哉さんは7年前、東京から地元に戻り、家業を手伝い始めた。3月11日、店から配達に出ようとしていた矢先、震災に遭う。「家が平行四辺形になった」という凄まじい揺れ。津波の情報が入り、余震に揺られながら家族と共に必死に車で逃げた。津波は店の前を流れる真野川を遡り、店まであと500mというところまで押し寄せたが、どうにか難を逃れた。店舗などは揺れによって被害を受けた。100年前に建てた、味噌などを寝かせる「大正蔵」は。外装は崩れたが、内部はそのまま残った。

     「ここに住んでいる限りは、ずっと放射能との戦いみたいなもん」

     麹を発酵させ、年月をかけて味噌をつくる。昔ながらの製法を守り続けている若松さん。原発事故により、店の商品に対して放射線物質を心配する声を耳にするようになる。定期的に検査を実施し、「一切検出せず」という結果を得てはいるが、できる限りの手を尽くしてしっかりと周知をし、お客の信頼を粘り強く得るしかないと考えている。「ここに住んでいる限りは、ずっと放射能との戦いみたいなもん」。自分自身に言い聞かせるように話す。

     

     「僕はがんばりますよ」。

     原発事故の後、復興デパートメントに参加した。色々なところから支援の手が差し伸べられている現状を目の当たりにし、発想の転機になった。まずは歴史ある事業を後世に伝えたい。そして、自分自身が理想の人間像として、「あいつが頑張ってるから俺もちょっと頑張ろうかな」と思う人が、日本のどこかに一人でもいてくれたら、それでいい。

     「理想で言えば、明日布団から出たら復興して元の世界になってたというのが本当に理想かもしれません」と若松さん。でも、現実を受け止め、真面目にやる以外に答えは見つからない。

     地域密着型で多くの人に愛され、育ててもらった家業。震災で何人もの馴染みのお客さんが命を落とした。避難所で暮らす人、故郷を捨てた人。人それぞれだから否定はしない。ただ、自分はこの地元に残って頑張り続けて少しでも地元に帰りたいなと思っている人たちの背中を押せるようなポジションにいるんだと思う。「僕はがんばりますよ」。

     BS12ch TwellV
    7月17日(火)、24日(火)、31日(火)18:00~19:00
    7月21日(土)、28日(土)、8月4日(土) 27:00~28:00
    計6回の放映です。

  • #28「居場所を作るために」 現地責任者 荒木そうこさん

    #28「居場所を作るために」 現地責任者 荒木そうこさん

    「集まるところが欲しいっていうところが、そもそもの出発点」。

    今泉天満宮の宮司の娘さんである荒木さん。神社が津波で流され、何もなくなったところに、みんなが集まれる場所を建てようという話が持ち上がった。たくさんの人たちの善意で「にじのライブラリー」が建てられ、荒木さんは現地責任者として働いている。津波の被害を何とか耐えた御神木が、ライブラリーのシンボル。この地域の復興のシンボルにもなっている。

    オアシスのような場所

    施設には本を読む目的の人だけでなく、お喋りをするために足を運ぶ人、ボランティア活動をしている外部の人も立ち寄っている。図書館としてだけでなく、誰もが気軽に立ち寄れるオアシスのような場。公民館的な役割も担っている。

    人を繋ぐ本

    本の大切さを改めて実感しているという荒木さん。ライブラリーでは、テレビの喧騒に堪えられなくなった被災した人の心に、本がそっと寄り添う光景をよく目にする。孫を膝に乗せて読み聞かせをしたり、静かに文字を追ったり―。本が自分自身と向き合う時間をつくるだけでなく、人と人をつなげる役割を果たしていると実感している。

     

    縦の繋がりを大切にしたい

    「縦の繋がりが大切にしたい」と、語る荒木さん。横取り、横やり、横暴、横柄―。昔の人は「横」というものを恥ずかしいことにし、縦の繋がりを大切にしていたという。自分が何をすべきかを考えたとき、人と比べて損得を考えるのではなく、高いところで価値観が一致していれば、世のためになるとう気持ちだけで動けるはず。にじのライブラリーは、多くの人の縦のつながりを軸に裾野が広がっている。

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    BS12「未来への教科書-For Our Children-」 #28 居場所を作るために~岩手県陸前高田市~ 

    放送日 7月3日(火) 18:00 ~ 19:00 ※プロ野球中継のため休止 /7月7日(土) 27:00 ~ 28:00 /

    7月10日(火) 18:00 ~ 19:00 /7月14日(土) 27:00 ~ 28:00

     

     

  • #28「居場所を作るために」Bricks.808 店主 熊谷亮さん

    #28「居場所を作るために」Bricks.808 店主 熊谷亮さん

     

     「自分がやればいいんだ」。

    熊谷さんは陸前高田市で飲食店を営んでいた。店には幅広い年齢層の人々が訪れ、熊谷さんの人柄を慕った若者が集うしゃべり場でもあった。津波ですべてが流され、店を失った。行方不明になった友人やお客さんもいた。熊谷さんはそれまで経験したことのない消防団に志願し、行方不明者の捜索や被災地の支援に当たった。

     

    またみんなで集まれる場所が欲しいな、という仲間の言葉。

    店を再開しようと思ったきっかけは、友人の亡骸を火葬した帰り。またみんなで集まれる場所が欲しいな、とつぶやいた仲間の言葉だった。そうか、どこにもないんだ―。そう思うと同時に、じゃあ自分がやればいいんだ、と思った。

     

    勝手に自分の都合で店を閉められなくなった。

    1年ほどかけ、店を再開させた。店に来るお客さんも自分と同じ、多くのものを失っている。ここに来て話をして、とにかく笑って帰ってほしい。料理なんて脇役でいい。みんなの笑顔を見て今はこう思う。「勝手に自分の都合で店を閉められなくなったな」。

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    BS12「未来への教科書-For Our Children-」 #28 居場所を作るために~岩手県陸前高田市~ 

    放送日 7月3日(火) 18:00 ~ 19:00 ※プロ野球中継のため休止 /7月7日(土) 27:00 ~ 28:00 /

    7月10日(火) 18:00 ~ 19:00 /7月14日(土) 27:00 ~ 28:00

     

  • #28「居場所を作るために」復興支援団体SET 共同発起人  三井俊介さん

    #28「居場所を作るために」復興支援団体SET 共同発起人 三井俊介さん


    「現在の活動の原点は大学時代の勉強にありました」。
    東京の大学でカンボジアなどの海外支援の仕組みを学んでいた三井さんは4年生になる直前に都内で震災に遭う。東京にいてもできることはないか―。震災の夜から友人らに呼び掛けた。そして2日後の13日、復興支援団体SETを立ち上げ、被災地への支援物資の橋渡しを始めた。活動を続けるうちに、支援が届きにくい陸前高田市の広田町の存在を知らされた。

    広田町は3700人が暮らす集落で、少子高齢化が進んでいる。半島の先端にあるため、がれき撤去などの作業にも遅れが目立った。仲間の若者と共に定期的に現地に入り、津波の被害地図の作成や、被災者の話し相手、物資の仕分けのほか、農業や漁業の手伝いなどに汗を流した。

     

    豊かな自然、温かな人たち、都会とはまったく異なる価値観。

    活動を通して、広田町には都会とはまったく異なる価値観があることに気付いた。津波に向かって沖へと船を出した漁師さんの話は鮮烈だった。先祖代々受け継がれた大切な船を守った行動。「また買えばいいじゃん」。そう思う自分がなんだか恥ずかしいような気持になった。

    現地に腰を据えて支援をしたい。2012年4月、そんな熱い思いを胸に、卒業と同時に広田町に移り住んだ。

    このままいけば限界集落の道をたどるに違いないこの町で、よそ者の自分にできることは何か。そして、よそ者にしかできないことは何か。町の存続だけではなく、多くの人が訪れてくれるような町にすることが自分の使命だと語る。

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    BS12「未来への教科書-For Our Children-」 #28 居場所を作るために~岩手県陸前高田市~ 

    放送日 7月3日(火) 18:00 ~ 19:00 ※プロ野球中継のため休止 /7月7日(土) 27:00 ~ 28:00 /

    7月10日(火) 18:00 ~ 19:00 /7月14日(土) 27:00 ~ 28:00

  • 「海のサムライ」プロジェクト(仮)始動!

    「海のサムライ」プロジェクト(仮)始動!

    9月27日(火)、宮城県気仙沼市唐桑町の漁師/佐々木さん、唐桑Boys/崔くん、余力くんを訪ねました。

    メンバーは、復興支援メディア隊からは代表榎田、(有)マイティー千葉重 千葉さん、

    (株)あおいビジネスソリューションズ 渡辺さん。

    今回の訪問では、同じく気仙沼市内の(株)斉吉商店(廻船問屋業・水産物卸・小売業・

    水産加工品及び製造業)/斉藤さん、

    島根県から氷感技術を持つ(株)フィールテクノロジー/三谷さん、

    福島にて氷感技術のトラックを実用化、販売代理店/沢田さんにもお越し頂きました。

     

    震災時、命懸けで船を守り、既に漁に出始めている佐々木さんの課題は、

    「漁をしてきても、魚をあげる場所がなく、物流にのせられない」ということ。

    これは市場がない為です。

    これまで市場が、水揚げ、冷蔵/冷凍の設備、魚の解体等、物流にのせて運ぶまでを担っていました。

     

    立地の問題や町全体の復旧計画を考案する中、市場の復旧を待っていると、最低でも5年はかかると言います。

    港町でその間、漁が出来ないということは、唐桑、そして気仙沼全体の復興が遅れることになります。

     

    そこで、新しい物流が出来ないか?ということで、今回のメンバーが集まりました。

    市場のような施設の代わりに、「氷感」という技術をのせたトラックを使うのです。

    トラックという、移動可能な設備で、更に「冷凍/冷蔵」の代わりに、「氷感庫」を使います。

    ※この技術についてはこちらをご覧下さい。

    氷感の特徴は、食品の劣化が遅くなり、食品のアミノ酸が増え、美味しくなるという点です。

     

    これまで、漁師さんは、「ものすごく良いもの」が獲れたとしても、長い物流を経る過程で、

    なかなかその美味しさを維持したまま、消費者に届けることが出来ませんでした。

    この課題も解決してしまいます。

     

    また、市場から仲買、量販店と魚が流れていく中で、漁師さんが利益を得にくい仕組みになっていました。

    「漁師=儲けられない」という仕組みで、後継者不足もありました。

    その点を、新しい販路を作ることで、解決しようということで、千葉さんの出番です。

    宮城をはじめ、全国を飛び回る、インターネットを活用した販路、小売り販売、

    ブランティングのスペシャリストです。

    それを唐桑Boysが佐々木さんに密着してサポートします。

     

    そもそも、メカジキ等の大きな魚はそのままでは物流にのせられませんし、鮮魚そのままでは、

    販路が限られますので、加工品を作る案が上がりました。

    そこでこれまで1次加工はしておりませんでしたが、斉吉商店さんが快く、

    「佐々木船頭の魚、うちで是非やらせてください!」と手をあげて下さいました。

    そして最後の難関、資金面や諸々のクリアしなければいけない課題は、金融のプロ、渡辺さんです。

    この、新しい物流プロジェクトにより、気仙沼に「仕事」が生まれるのです。

     

    今、現地で必要なものは「仕事」(雇用)です。

    復興支援メディア隊の役目は、「被災地の方の声を聞き、伝える」こと。

    生の声を伝えることで生まれる「新しいビジネス」を、これをモデルに他にも繋いでいきたいと思います。

     

     

    全てが人のつながり。

    自分が困っているときにこそ、誰かの為に何かをしたい。

    ここに集まった人々は、そういった方々です。

     

    若者が故郷を離れ、都会で仕事をする人が増える東北の沿岸地域。

    しかし、自然豊かなこの地で、近い将来、

    ここで漁師になりたい!」と、子供たちからの声が上がる日が来る。

    このメンバーを見て、そう確信しました。

    復興支援メディア隊・石山静香

  • 東北大学大学院 石田教授

    東北大学大学院 石田教授

    8月30日 仙台にある東北大学大学院・石田教授のもとへ行き、

    新しいライフスタイル、まちづくりのお話を聞かせて頂きました。

     

    原発問題から、節電が日常的に行なわれている今日ですが、

    「電力消費15%削減」というとものすごく高いハードルに聞こえます。

    それは、電気のスイッチを消すことで対応しようとすると、かなりの我慢も伴います。

     

    ではどうしたらよいのか??

    震災後、教授は「先取りしたい2030年の暮らし」(エネルギーや資源が十分に得られないときでも心豊かに暮らす方法の提案)

    というかわいいイラストの小冊子を発刊しており、

    現在シリーズ4冊目まで完成しています。(HPからも観られるようになっています。)

    子どもが興味を持ち、楽しみながら始める・・・そして家族に「こんなことしたよ!」と話をする。

    家族だんらんのきっかけになる冊子を目指しているということです。

    ※特に私は「昔、味噌や醤油を貸し借りしたように、電気の貸し借りをする」という未来のイメージが大好きです。

     

    教授は普段から「自然のドアをノックしよう」というフレーズのもとに、

    自然から学び、現代技術でものづくりに活かす・・・というネイチャーテクノロジーの研究をしています。

    例えば、水のいらないお風呂、エアコンの要らない壁・・・面白い発明にいつも驚かされます。

     

    今回は、「家庭農場」のお話とともに、実際に「新しい土」を見せて頂きました。

    キッチンの引き出しをあけると、今日の夕飯に使うレタスが生えている。

    壁にもトマトやにんじん、インゲン・・・。

    たくさん採れたからご近所さんにお裾分け。そこからうまれるコミュニティ。

    想像するだけでワクワクします。

     

    そこで大活躍するのが、農薬が要らず、ほんのちょっとの水で育つ、土。

    土をこぼして大変!汚れたり、色んな虫が入って来る・・・というイメージが大きく変わります。

    色も半透明、手に取ってみると、とても軽い。(通常の土の比重が2.0ですが、こちらは0.1です。)

    「土=茶色」の既成概念が壊れます。

    実用化したら楽しいこと間違いなし!!

    今からワクワクです。

    ↓新しい土。

     

     

     

     

     

     

     

     

    新しいまちづくりに、取り入れたいアイディアが満載です。

    9月15日は、東京で教授が

    日本人が求めている暮らしのかたちとテクノロジー 〜勤勉革命が生み出したものつくりのかたち〜

    というタイトルで講演されます。

    ドキドキ・ワクワク、楽しい未来を描くきっかけになるのではと思います。

     

     

    復興支援メディア隊・石山静香