カテゴリー: Future

3.11以降、明治維新以降の近代合理主義や戦後の高度資本主義経済で私たちが信じて来た「合理的」で
「安全なもの」があっさりと崩れつつあります。その代わり、日本人が長い年月をかけ、手間暇をかけて
培って来た素晴らしいもの(伝統技術、文化、人のつながり等)が再び光を浴びつつあります。
ここでは、取材の中で見えて来た、未来の日本の暮らし方・生き方を発信します。

  • ♯44「バッグが織り成す復興への思い~四万十ドラマとLOOM NIPPON~」一般社団法人 LOOM NIPPON 代表  加賀美由加里さん

    ♯44「バッグが織り成す復興への思い~四万十ドラマとLOOM NIPPON~」一般社団法人 LOOM NIPPON 代表 加賀美由加里さん

    「郷土愛」を意味するLove of Our Motherland

     ファッションブランドの老舗「ランバン」や最も長く続いている世界最古の服地販売「ドーメル」など、ファッション業界の第一線で活躍してきた加賀美さん。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた日本の姿に、今までにない大きな衝撃を受けたという。被災地の雇用創出や産業復興のため、「Love of Our Motherland」という言葉から頭文字を一つずつ取り、「LOOM NIPPON」という名の一般社団法人を立ち上げた。ファッションでの復興、その思いとは。

    桜は被災地の人々の希望、そして鎮魂

     LOOM NIPPONの活動の柱の一つに「SAKURA PROJECT」がある。津波により木々が流されてしまった地域に桜を植樹するプロジェクトだ。植えた桜が成長するまでにかかる、20年という歳月。被災地の子ども達が桜とともに育ち、多くのときを共有すること、彼らがその記憶を更に自分たちの子供に受け継ぐことを願い、3,000本を目標に植樹を続けている。

    もうひとつの柱、「LOOM BAG

     大きな被害を受けた町のひとつである宮城県の南三陸町。町の雇用創出や地域復旧復興支援を目的に、アストロ・テック社に受注依頼してバッグを制作している。「LOOM BAG」と名付けられた皮のバッグは南三陸町の女性たちによって受注生産され、様々な評価を受けているという。復興を願いながら織られるバッグに、人々の注目が集まっている。

    バッグだけではない新たな動きの模索

     2012年12月には繋がりある企業を招き、新商品の打ち合わせもされた。ファッションを地場産業として根付かせるため、継続的に生産し続けることが重要だという。

     加賀美さんは日本の物づくりに、分かち合い思いやりを持つ心を見出している。これまでの経験全てが“LOOM”に活きている。「これをやるために今まで仕事してきたんだって思ってます」。ですからこれからです、と目を輝かせた。

    BS12ch TwellV

    3月5日(火)、12日(火)18:00~19:00
    3月10日(日)、3月17
    日(日)早朝3:00~4:00

  • ♯43「伝統工芸品の復興、そして進化へ」NPO法人うつくしまNPOネットワーク 事務局長 鈴木和隆さん

    ♯43「伝統工芸品の復興、そして進化へ」NPO法人うつくしまNPOネットワーク 事務局長 鈴木和隆さん

    「NPOを助けるNPO」の設立

     3.11の震災後、社会的課題を解決しようと福島県内のNPO設立頻度は2、3倍にまで跳ね上がり、所謂“設立ラッシュ”が起きている。しかしあと1,2年後には、助成金が足りないなどの理由で解散・撤退する団体が増えてくるだろうと予想されている。

     鈴木さんが事務局長を務める「うつくしまNPOネットワーク」は、NPO同士を連携させ助け合おうという中間支援を目的に設立された。いま福島に必要なNPOの役割とは。

    NPO同士を繋ぐネットワークの形成

     20の職種分野に分かれるNPO。同じ分野のもの同士を繋ぐ横のネットワークと、すべての分野に共通する縦のネットワークづくりに取り組んでいる。そのひとつとして、「ふくしま福祉ショップネットワーク」が開催された。福島の福祉系NPOが集まり、障がい者やそこで働く人の工賃を少しでも上げるための繁盛店を作ろうという交流会だ。同種のNPOが集まることで横の繋がりが出来、交流を深めることで相乗効果を生む。

    今後のNPOの課題とは

     未だNPOの社会的認知が十分ではない日本。認知を広めることが人材確保にも繋がるという。3.11という歴史的な大災害に立ち向かうため、より深く連携し、組織の体力作りやノウハウを学ぶことが重要だ。また、福島の現状や復興に向かう姿を正しく記録し伝えていくなど、福島のNPOにしか出来ない課題もあると考えている。

    「本気印」のNPOを応援したい

     震災前から存在する課題にすらぶつかっていく、NPO自身も補助金に頼らず自立しながら活動していく、そんな団体を応援し、共に歩いていきたい。「本気印のところを見つけ、連携して本当の課題を一個一個やっていく、そんな支援活動にしていきたいと思います」と、鈴木さんは語った。

    BS12ch TwellV

    2月19日(火)、26日(火)18:00~19:00
    2月24日(日)、3月3
    日(日)早朝3:00~4:00

  • ♯43「伝統工芸品の復興、そして進化へ」有限会社 会津食のルネッサンス 代表取締役 本田勝之助さん

    ♯43「伝統工芸品の復興、そして進化へ」有限会社 会津食のルネッサンス 代表取締役 本田勝之助さん

    伝統工芸品とデザイナーのマッチング

     株式会社ジェイアール東日本企画が運営する、未来への「じまんの一品づくり」プロジェクト。コーディネーターを務める本田さんは会津若松市の出身で、震災後、現代のライフスタイルに合った魅力的な商品を生みだそうと尽力している。コーディネートするのは歴史ある伝統工芸品とデザイナーだ。古きを守る伝統工芸と、柔軟な発想を持ったデザイナーとを掛け合わせることで、伝統産業を進化させることが出来ると考えている。

    伝統技術に新たな風。デザイナーの手腕

     2012年12月上旬、東京から訪れたデザイナーとともに福島の企業を視察。NHKで放映中の大河ドラマにちなみ製品を改良するなど、流行に合わせた提案や、特性を活かした新商品の開発を手掛けた。技術の強みと、それを外から見た柔軟な発想。作り手側と使い手側の期待の違いを意識し、新しくセッションすることが、伝統が残っていく一つの方法論だという。

    地域間連携による新しい商品づくりも

     会津木綿の多彩な縞模様の技術を受け継ぐ会津若松市の「山田木綿織元」と、岡山県倉敷市のジーンズメーカー「株式会社ベティスミス」とのコラボレーションを実現させ、手提げバッグを新開発した。互いの長所を活かし、足りない部分を補い合うこと。それまでなかった技術や違った地域の素材を取り入れることで、プロダクトや素材の進化が生まれてくる。

    広がる企業間連携。イタリアブランドとのコラボ

     本田さんの活動は国内に留まらない。今回、イタリアのバッグを中心としたブランド「オロビアンコ」と磐梯町「榮川酒造株式会社」を連携させ、イタリアンの口に合う辛口酒の開発に成功した。東北復興に特別な思い入れがあるというオロビアンコのジャコモ氏との交流は、互いに刺激ある取り組みとなった。

     もうすぐ震災から2年。本田さんは、支援に対して報いられるような人間になっていくことが一番の福島の魅力になると語った。

    BS12ch TwellV

    2月19日(火)、26日(火)18:00~19:00
    2月24日(日)、3月3
    日(日)早朝3:00~4:00

  • ♯42「希望の種子~始まっている復興~」NPO法人 福島農業復興ネットワーク 農場管理責任者 田中一正さん

    ♯42「希望の種子~始まっている復興~」NPO法人 福島農業復興ネットワーク 農場管理責任者 田中一正さん

    避難生活を送る中、再出発のきっかけとは

     東京生まれの田中さんは、福島県相馬郡の飯舘村に移り住み酪農を経営していた。2011年でちょうど入植10年目を迎えようとしていた矢先に3.11の震災が起き、県外の牧場への移動を余儀なくされる。そこへ声を掛けたのが、福島市内にミネロファームという牧場を立ち上げたNPO法人福島農業復興ネットワークだった。

    ミネロファーム建設への動き

     ミネロファームは原発事故により避難を余儀なくされた酪農家たちの就業機会を創出することを目的としている。酪農組合を通して被災した酪農家たちを対象に募集が掛けられ、飯舘村から田中さんを含めた2名、浪江町から2名、元々の牧場主1名の計5名が集まった。2012年5月に運営を始め、出荷量は当時こそ少なかったものの現在は軌道に乗っている。

    共同型酪農経営モデルが特徴

     元経営者たちが集まり共同で牧場を運営するのがミネロファームの特徴だ。これまでは自分の家が農家のため、365日の出勤が余儀なくされていたが、交代で休みを取ることによって生活の質が上がった。更に技術を持った人間が集まって得意不得意を補い合うことで、非常に水準の高い牧場経営が実現したという。全国的に酪農家が減少している今、新しい酪農の形としても期待されている。

    ミネロファーム、今後の5つの目標

     特徴である共同型酪農経営を、未来の酪農のモデルとして実践していくこと。被災して休業している農家の雇用を創出すること。福島県の酪農の復興に向け、農家のトレーニングの援助をすること。酪農を子どもの教育の場として活用すること。大学や企業と連携しながら、新しい酪農技術を開発すること。

     世界で最も老齢化が加速している日本。ヨーグルトや牛乳に含まれるたんぱく質やカルシウムへの理解を深めてもらい、未来の日本に貢献できたらと考えている。

    BS12ch TwellV

    2月5日、9日、12日、16日に放送されました。

  • ♯42「希望の種子~始まっている復興~」一般財団法人 瓦礫を活かす森の長城プロジェクト 総務 小野﨑穣さん

    ♯42「希望の種子~始まっている復興~」一般財団法人 瓦礫を活かす森の長城プロジェクト 総務 小野﨑穣さん

    2011年の東日本大震災からまもなく二年

     小野﨑さんが参加している一般財団法人「瓦礫を活かす森の長城プロジェクト」は、東北の被災地の沿岸に木を植樹し、森の防潮堤を作ろうという活動を続けている。防波堤に利用されるのは、プロジェクト名の通り、震災で発生した大量の瓦礫だ。元々は木であり、家であり、生活の一部だった瓦礫。この活動にどのような思いが込められているのか。

    目標は、300㎞にわたる”森の長城”を作ること

     青森県から福島県にかけての太平洋岸に、残土とガレキを利用して盛り土の土台を作り、そこに木を植える。瓦礫を埋めることで土壌の間に空気層が生まれ、より深く根を張ることが出来るようになるという。成長すれば幅30m~100m、高さ10m~15mの森となる。

     すでに岩手県大槌町や宮城県山元町などでは12,300本の植樹を終えた。また、植樹するポット苗9,000万本の生産体制を確立するため、種となるどんぐりを拾うツアーも開催されている。

    必要なのは、その土地で育った”土地本来の木”

     より強い防波堤にするためにはその土地で育った木を植えることが重要だという。どんぐり拾いのツアーでは、北海道から九州までの約100名のボランティアが集まり、古くからこの土地にある木のどんぐりを採取した。何年も先の未来を思い描き、ひとつひとつ手作業で拾われたどんぐり。三年をかけて、植樹できる大きさまで育てられる。

    神社の神主から復興プロジェクトへ

     元々は神社の神主だったという小野崎さん。震災に対して自分は何ができるのかと苦悩する日々の中でプロジェクトに出会い、参加を決意した。すべてをコンクリートで埋め固めてしまうのではなく、未来を思い描いて森にする姿勢に深く共感している。「職業としての神主は辞めてしまったんですが、生き方としては今もそして今後も続けていきたいと思っておりますね」。葉に隠れたどんぐりを拾い上げた感動を語り、頷いた。

    BS12ch TwellV

    2月5日、9日、12日、16日に放送されました。

  • ♯40「前を向くちから ~中高生が向かい合っている震災~」小高商業高校商業研究部顧問 教諭 中島裕さん

    ♯40「前を向くちから ~中高生が向かい合っている震災~」小高商業高校商業研究部顧問 教諭 中島裕さん

    原発から20㎞圏内。退去を余儀なくされた商業高校

     福島県南相馬市小高区は、原発事故により警戒区域に指定され全住民の避難が余儀なくされた。区内にある福島県立小高商業高等学校もまた、津波による被害はなかったものの警戒区域指定を受け、県内の学校を間借りして授業を行っている。2012年4月16日、小高区の警戒区域は解除されたが、現在も生活する環境は整っていない。

    高校生による風評被害への取り組み

     最初は生徒の「部活動を再開したい」という気持ちからはじまった。とにかく生活第一という避難生活の中、「なにがしたいか」「なにが出来るのか」を考えた。地域のJAや道の駅に話を聞いたところ、浮かび上がった課題が風評被害だったという。中島さんはじめ教師がサポートしながら、生徒達は地域の現状や放射性物質の特性を学んでいった。

    放射能に対する正しい知識を広め、PRする”だいこんかりんとう”

     風評被害を無くすため、商業研究部の生徒と先生で“だいこんかりんとう”の販売を始めた。だいこんかりんとうは、地域の特産物である金房大根を使用したクッキーのようなかりんとうで、震災以前に小高商業高等学校がはじめて開発した商品だ。思い入れが強く、人気商品で消費者にも馴染みがあり、長期保存も利くという点でPR商品に選ばれた。

     復活しただいこんかりんとうは、県内だけでなく、東京や神奈川なども含めて6つのイベントに出向いてPRされた。

    実際に販売することで分かった、消費者の反応や意見

     TVや新聞などのメディアを通して積極的に発信する中、情報がきちんと伝わらずに購入が控えられるなどの課題もあった。生徒はその度に「こう聞かれたらこう返そう」と議論を交わし合った。活動は功を奏し、県内外から大きな反響があった。

     中島さんは、福島県内の生産者にこそこの活動を知ってもらいたいという。支援される立場ではなく、自分達から生み出す大切さを高校生から感じとってほしい。身近で生徒の成長する姿を見てきたからこその願いだ。

    BS12ch TwellV

    1月1日、5日、8日、12日に放送されました。

  • ♯40「前を向くちから ~中高生が向かい合っている震災~」大船渡市立第一中学校 校長 石山宣昭さん

    ♯40「前を向くちから ~中高生が向かい合っている震災~」大船渡市立第一中学校 校長 石山宣昭さん

    3.11後、災害関連の施設として機能し始めた中学校。子ども達は

     岩手県大船渡市は、国道を境にした海側と山側で被害が大きく二分した。大船渡市立第一中学校は山側に位置していたため校舎に被害はなく、約8割の生徒たちも被害を免れたという。

     震災の翌日、6~7人の生徒が学校を訪れて「私達に出来ることはありませんか」と申し出た。石山さんは震災で打ちひしがれた状況を見て、“元気のある言葉”を書いてほしいと返事をした。「私たちは災害にも負けません」「心一つにして頑張りましょう」そんなフレーズが、子ども達によって校門前に張り出された。私達に出来ることを。希望新聞、第1号発行

     生徒達は積極的に地域の家を回り、「なにか出来ることはありませんか」と声をかけた。同時に「希望新聞」という名の学校新聞を発行し、避難所や郵便局に配り始めた。現在26号まで発行されている希望新聞は、地域同士の情報交換の媒体になったりなど、状況に応じて柔軟な変化を見せている。

     一緒に活動することによって深めた思いを、更に記事にし伝えていく。新聞を使っての“子ども達からの発信”は大きな手段だと感じた。

    県外の学校との交流。広がりをみせる希望新聞

     その後県外の学校とも交流が広がり、希望新聞はより多くの人に読まれることになった。そうして生まれた縁で、さいたま市立指扇中学校の校長から講演を依頼された石山さんは、震災時の状況、希望新聞の発行などについてを語った。

     被災地というものを風化させないでほしい。そして、自分たちに一体なにが出来るのかということは、例え離れた所であろうと自分たちで考え取り組んでほしい。「皆さんは希望と夢という言葉、どっちが好きですか。希望というのは自分がどれだけ近づくかということです。前向きに進むかということです」。夢と希望を持った子ども達に、大きく羽ばたいてほしいという思いを壇上で語った。

    BS12ch TwellV

    1月1日、5日、8日、12日に放送されました。

  • ♯41「福島・じまんの食に希望をのせて」株式会社京都吉兆 代表取締役社長 徳岡邦夫

    ♯41「福島・じまんの食に希望をのせて」株式会社京都吉兆 代表取締役社長 徳岡邦夫

    クッキーを通じて、福島の復興から一次産業の活性化へ

     「京都  吉兆」嵐山本店の総料理長の徳岡さんは、これまで慣れ親しんできた和食ではなく、クッキーでの復興支援を思いついた。クッキーを通して世界中に福島の食の安心安全、そして日本の農作物の美味しさを伝えていくプロジェクト。現場の人々の声を直接聞き、世界中の人から親しまれているものをと考えた結果だ。1年半かけて作り出した、世界に羽ばたくクッキーとは。

    世界一安全なクッキーであるために

     クッキーが完成に近づいた2012年11月23日、徳岡さんは再び福島を訪れた。安心安全なクッキーであるために、放射線測定器の視察が必要だった。震災後、測定器の精度は改良され、手間も時間も大幅に短縮されている。しかし今はお米だけが対象で、他の農産物を全量検査できる測定器はまだ研究を重ねている状態だという。

    大事なのは、クッキーに込められた物語

     クッキーの製造は会津若松市にあるベーカリー&カフェ「コパン」に依頼した。障がい者の方たちの自立を考え設立された障がい福祉サービス事業所で、障がい者の方たちが製造に携わったパンやコーヒーを食べることができる。

     クッキーには県産のそば粉と福島産の原料が使われている。中でも一番大事なのは、何故作られたのか、どういう食材を使い、どんな思いが込められているかという「情報」だという。コーヒーの進む味に、確かな手ごたえを感じた。

    これから何を目指していくのか

     スタートから一年半、やっと安全と言えるクッキーが形になった。その間に知った福島の人々の努力や、それに関わった人のことを、もっとたくさんの人に知ってもらいたいと徳岡さんは語る。「まだまだたくさん出来る事があるんじゃないかな」。まだスタート地点に立ったばかりだと、これからの可能性に思いを馳せた。

     クッキーは2013年2月8日〜14日に丸ビル1Fマルキューブで開催される「バレンタインフェア」でお披露目される予定だ。

    BS12ch TwellV

    1月15日(火)、22日(火)、29(火)18:00~19:00
    1月20日(日)、27
    日(日)早朝3:00~4:00

  • ♯41「福島・じまんの食に希望をのせて」有限会社良品工房  代表取締役 白田典子さん

    ♯41「福島・じまんの食に希望をのせて」有限会社良品工房 代表取締役 白田典子さん

    福島の「じまん」を世界へ。支援の動き

     株式会社JR東日本企画が運営するもののひとつに、未来への「じまんの一品づくり」プロジェクトがある。福島の食やお酒、工芸品をより魅力的なものにするため、商品開発・改良、販路拡大などの支援をする企画だ。コーディネーターを務める白田さんは「台所に立つ人の気持ちから発想した商品づくり」を心がけ、地域産品の商品開発や改良に携わり、全国を歩き回っている。活きているのは、10年間専業主婦をしてきた経験だ。

    買ってもらう商品ではなく、買いたい商品を

     震災後、あちこちで開かれた支援販売やセールの動き。白田さんはそれを見ながら「はたして自分が自信を持って売れる商品だろうか」と疑問を膨らませていた。支援で買ってもらう商品では長続きしない。震災があろうがなかろうが、どこでも「欲しい」と言われる商品を作らなくてはいけない。

     白田さんは、自分が会社を創業した当初に失敗を経験していた。ものが良いからといって売れるわけではなく、消費者は常に他の商品と比較している。自分の商品はどういう物と比較されるのか。視野を広げ、他の商品を知ることが大事だと語る。

    地域と地域をつなぐ~Local to Local

     パッケージや値段の見直しはもちろん、原材料の提案や農家の紹介もしている。地元で農作物が採れなくなり、売り上げが大幅に減少してしまった福島市の「みずほフーズ」には、これまでの繋がりを活かして徳島県の農家を紹介した。みずほフーズは、他県の原材料に福島の技を使うことで、無事伝統の味を継続させることが出来た。

     「これしかないとかっていうふうに思わないで、もうちょっとフランクに緩やかに考えて、ものづくりをして良いんじゃないかな」。あちこちを飛び回った経験と情報を活かし、地域と地域を繋ぐ役になりたいという。未来への「じまんの一品づくり」プロジェクトは3月までだが、あくまできっかけで、これがお付き合いの始まりだと白田さんは笑った。

    BS12ch TwellV

    1月15日(火)、22日(火)、29(火)18:00~19:00
    1月20日(日)、27
    日(日)早朝3:00~4:00

  • ♯39「東北が育てる農業の未来」農業生産法人 株式会社GRA CEO 岩佐大輝さん

    ♯39「東北が育てる農業の未来」農業生産法人 株式会社GRA CEO 岩佐大輝さん

    もう一度ここでイチゴ農園を

     農業を中心に事業を展開している株式会社GRAは、今年の1月、宮城県の山元町にトマトとイチゴの植物工場を設立した。

     山元町はもともとイチゴが盛んな地域。しかし震災によりほとんどのイチゴ農園が壊滅してしまい、岩佐さんは「このままだとこの町がまずい。町自体がなくなってしまうんじゃないか」と懸念した。IT企業を経営した経験を活かし、もう一度ここでイチゴ農園をスタートしようと考えたのがきっかけだ。

    ITを駆使した新しい農業施設

     農水省との連携事業で参画した「先端プロ山元研究施設」では、タネから苗を作るまでの時間を短縮し、農薬を出来るだけ使わないようにする為の人工光の育苗室を作っている。人口光を使うことで計画的な育成が可能となった。環境はすべてコンピューターで管理されているため、市場の状態に合わせて柔軟に生産量を調整できる。また、農業者の知識や経験をプログラミングすることにより、農業の拡大や若手の参入に期待が寄せられている。

    地元から世界へ。インドへの進出

     JICA(国際協力機構)との連携事業で、インドへの進出も始めている。プロジェクトの目的はインドの貧困層の人々が働く場所を提供することだ。貧しい村々にハウスを展開していく事が最終目的で、まずは温暖な気候のインドでイチゴが作れるのかどうかという実験に着手している。同時に、今山元町にある施設で「最先端の農業」の基盤作りが出来れば、世界に通用する、世界中で生産出来る農業法人の展開が出来ると考えている。

    産業を強くする事で山元町の活性化を

     高齢化率が30%を超える山元町。震災前の状況に戻すだけではなく、人口の減少と高齢化という問題を解決する必要がある。「都会の人の意識っていうのは、どんどん震災から遠のいていく。そうなる前に強い産業を作っておくっていうのは非常に重要かな」。故郷から世界へ展開していく農業ビジネス。これからの農業の可能性を追求している。

    BS12ch TwellV

    12月18日(火)、25日(火)18:00~19:00
    12月23日(日)、30日(日)早朝3:00~4:00